Claim CH101:
The Bible, being God's revealed word, is without error or fault in everything it teaches, including what it says about creation, historical events, and its own origin. Scientific study of the earth cannot be used to overturn scriptural accounts of creation and the flood.

神の啓示の言葉である聖書は、創造や歴史的事件やその起源を含めて、その教えに間違いも誤りもない。地球についての科学的研究は、創造と洪水の聖書の記録を覆すのには使えない。


Response:
1. 無謬なものは信頼できない。誤りは、それが認識され認められた場合にのみ訂正される。したがって、聖書の無謬な解釈にある誤りは正されることはない。

2. 無謬は憎しみを育む侮蔑である。無謬論者は、他の人々の宗教的見方を自分のよりも劣ったものだということを、神のごとく確かなことだと考える。人は自らが植えた種を収獲する。だから無謬論者が侮蔑を示すとき、自らの宗教に対する侮蔑が返ってくる。その結果、歴史は血塗られた。ユダヤ教徒やイスラム教徒や異教徒や他のキリスト教徒たちが"真"の神の名のもとに、征服され、拷問を受け、虐殺された。アウシュビッツを語るJacob Bronowski[1973, 374]は書いている:

Into this pond were flushed the ashes of some four million people. And that was not done by gas. It was done by dogma. It was done by arrogance. When people believe that they have absolute knowledge, with no test in reality, this is how they behave. This is what men do when they aspire to the knowledge of gods.

この池に約400万人の遺灰が捨てられた。そしてそれらはガスによって行われたのではない。教義によって為されたのだ。傲慢によって為されたのだ。現実に検証することなく、人が絶対的知識を持っていると信じたとき、人はまさしく、そのように振る舞うのだ。人が神の知識を熱望した起き、人はこのように振る舞うのだ。

侮蔑は非寛容としても表れる。女性の役割に対して、セックスについての態度に対して、他の違った考え方の広がりを通して。たとえ残虐行為にコミットしなかった者であっても、そのような非寛容を表すとき、残虐行為を可能とする雰囲気を助長するという罪を犯している。

3. 無謬は聖書研究を否定する(研究者を迫害することも稀ではない)。無謬を認めた者は一般に...
  • テキスト批判を無視する。多くの無謬論者はジェームズ王欽定訳(KJV)を権威として受け入れているが、最初期の聖書の記述の分析は欽定訳(KJV)に数多くの誤りがあることを示している。たとえば、姦婦に石を投げようとした者たちをイエスがあしらった話[ヨハネによる福音書8章1-11節]はヨハネによる福音書が書かれてから300年後になるまで出現していない。
  • 原典批判を無視する。聖書の多くの物語が繰り返し語られているが、それらは強調点が異なり、詳細が異なり、異なる言語が異なる。これらの違いは、聖書が、異なる人々によって、異なる時に、異なる目的で書かれたものであること示している。そして、これらの記述は、さらに異なる動機を持つ人々によって編集されたことを示している[Friedman 1987]。
  • シンクレティズム、ひとつの宗教の儀式や概念などが別な宗教に適応される過程を無視する。たとえば、聖書の多くの物語はシュメールやカナンの影響を受けている。
  • 字義通りの解釈を区別したり、字義通りの解釈を重要だとは考えなかったと思われる、聖書の執筆者たちの価値観を無視する。聖書は歴史を正しく記録するために書かれたのではない。スピリチュアルな考えを伝え、説得するために書かれた。それらの考えは、すべての人々にとって同じではないかもしれない。
聖書を高く尊重する人々が、聖書の客観的研究を拒否するのは皮肉である。

4. イエス自身が宗教戒律は絶対的ではないと言っている。マタイによる福音書5章38節で、イエスは「眼には眼を」という掟[出エジプト記21章23-25節, レビ記24章19-20節、申命記19章21節]を否定している。イエスは全ての食事規定を否定している[マルコによる福音書7章19節 レビ記11章]。イエスは安息日の労働についての掟も否定している[マルコによる福音書2章27節]。イエスがモーセの掟を無謬でないと考えていたとするなら、何故、我々が聖書のいかなる部分も無謬だと考えないといけないのか?

5. 最終的には、自分自身以外に無謬を示す根拠は存在しない。
  • 神は権威たりえない。神はこの問題について直接的には何も言っていないからだ。無謬だという主張はすべて、間接的に神の権威に帰しているだけである。
  • 聖書に権威があるということについて、聖書は根拠足り得ない。それは循環論法である。
  • 教会は聖書の無謬性の根拠足り得ない。というのは教会は一つではないからだ。1万以上の異なるキリスト教の宗派があり、それらはすべて聖書について異なる考えを持っている。聖書には少なくとも大きく違ったバージョンが3つ存在する(カトリック、プロテスタント、エチオピア正教会)。
  • 同じ理由で、歴史的伝統も無謬の根拠足り得ない。聖書の見方は歴史の流れの中で変化してきたからだ、

6. 聖書の無謬性を主張することは、同時に無謬な解釈を主張しない限り、無意味である。聖書に書かれていて、聖書は無謬だから、地球は平板で、固体の天蓋に覆われていると信じている人々がいる[Schadewald 1987]。大半の聖書無謬論者を含む、大半の人々は、そのようなことを信心ている人々は誤っていると言うだろう。創造や洪水についての特定の見方を無謬だと主張することは、原理的にはそれと違っていない。洪水につていの記述が寓話として書かれていたなら、洪水につていの記述を真に字義通りに正しいと主張することは誤りである。聖書のいかなる部分の特定解釈が無謬だと主張することは、自分自身が無謬だと主張することに他ならない。

7. 聖書が無謬ではないことを示す側面が幾つかある。これらは事実誤認が含まれている:
  • レビ記11章6節には、ウサギが反芻すると書かれている。
  • レビ記11章20-23節にはバッタを含む昆虫の足は4本だと書かれている。
  • 歴代誌上16章30節と詩編93章1節には地球は不動だと書かれている。しかし、じっさいには自転し、太陽の周りを公転し、他の天体の重力の影響を受けている。

そして、矛盾が存在している:
  • 創世記1章ではああ無は他の動物の後に創造されたが、創世記2章では動物より先に登場している。
  • マタイによる福音書1章16節とルカによる福音書3章23節は、イエスのことなについて違っている。
  • マルコによる福音書14章72節と、マタイによる福音書26章74-75節と、ルカによる福音書22章60-61節と、ヨハネによる福音書18章27節は、ニワトリが鳴いた回数が違っている。
  • サムエル記下24章1節と歴代誌上21章1節は「人口を数える」ことを誘った者が違っている。
  • サムエル記上17章23節と50節と、サムエル記下21章19節は、誰がゴリアテを殺したかについて一致していない
  • サムエル記上31章4-5節とサムエル記下1章5-10節はサウルの死について違っている。
  • キリストの死と復活について多くの詳細事項が4つの福音書の間で違っている[Barker 1990]。たとえば、マタイによる福音書27章37節とマルコによる福音書15章26節、ルカによる福音書23章28節およびヨハネによる福音書19章19節は、十字架刑についての記述が違っている。
  • ユダの死についてマタイによる福音書27章5-8節と、使徒言行録1章18-19節は違っている。
  • 創世記9章3節とレビ記11章4節は、何を食べるのが適切かについて違っている。
  • ローマ信徒への手紙3章20-28節とエレミアの手紙2章24節では、信仰と行為について違いがある。
  • 出エジプト記20章5節、民数記14章18節、申命記5章9節はエゼキエル書18章4節と19-20節とヨハネによる福音書9章3節は罪の継承について違っている。

無謬論者はこれの矛盾について知っていて、これらや他の誤りや矛盾を合理化する方法を見つけているが。それらは納得できるものではない。合理化は聖書が書いているように見えることと、聖書が意味することが違うというのうは、聖書の無謬性という概念を否定するものである。

Links:
  1. McKinsey, Dennis. 1983-1998. Biblical errancy.

References:
  1. Barker, Dan. 1990. Leave no stone unturned. Freethought Today (Mar.),
  2. Bronowski, Jacob. 1973. The Ascent of Man. Boston: Little Brown and Co.
  3. Friedman, Richard Elliott. 1987. Who Wrote the Bible? New York: Summit Books.
  4. Schadewald, Robert J. 1987. The Flat-Earth Bible. The Bulletin of the Tychonian Society 44 (July 1987).

Further Readings:
  1. Bringas, Ernie. 1996. Going by the Book, Charlottesville, VA: Hampton Roads Publishing.
  2. Hildeman, Eric J. 2004. Creationism: The Bible Says No! Bloomington, IN: Author House.
  3. The Straight Dope. 2002. Who wrote the Bible? (Part 5).?







最終更新:2011年08月12日 07:31