Claim CH102:
The Bible should be read literally.
聖書は字義どおりに読まれるべきである。

Source:
Morris, Henry M. 1985. Scientific Creationism. Green Forest, AR: Master Books, p. 204.

Response:
1. 聖書を字義どおりに読むことは、細部の背後にある意味を読み落とすことになる[Hyers 1983]。それは物語の倫理を見ようとせずに、イソップ物語を読むようなものである。比喩的記述の中に意味を見出すには考えることが必要となる。しかし、それは英書について悪いことを考えることだろうか?

2. 聖書を字義どおりに解釈するなら、過度の疑似論理的こじつけをしないと解決できない矛盾や不正確な記述が聖書には多くある。アウグスティヌスは言っている:

It is a disgraceful and dangerous thing for an infidel to hear a Christian, presumably giving the meaning of Holy Scripture, talking nonsense on these topics; and we should take all means to prevent such an embarrassing situation, in which people show up vast ignorance in a Christian and laugh it to scorn (Augustine 1982, 42-43).

キリスト者がこうした事柄について、いわば聖書に基づいて語ると言いながら戯言を語るのを他の人が聞き、天地の相違とよく言われるような誤りを犯しているのを見て取り、笑いを禁じえなくなるなどというのは、きわめて見苦しいことであり、有害であり、つとめて避けるべきことである。(片柳栄一 訳)

アウグスティヌスの警告は有益だ。反進化論やノアの洪水や若い地球を支持するのに必要な、正当な根拠なき証明や、字義お降りの解釈による矛盾は、人々をキリスト教から遠ざける[Hildeman 2004; Morton n.d.]。

3. 聖書自体に、字義どおりに解釈すべきでないと言っている節がある:
  • コリントの信徒への手紙二 3章6節は新しい契約について「文字は殺しますが、霊は生かします」と言っている。
  • コリントの信徒への手紙一 9章9-12節はモーセの戒律の一つが比喩であり字義どおりではないと言っている。
  • ガラテヤの信徒への手紙4章24節は、アブラハムの物語が寓意だと言っている。
  • イエスはたびたび寓話を使って教えている。明らかに物語の細部ではなく、物語の教訓こそが重要だと意図している。

4. 聖書を字義どおりに受け取らないことは、カトリックおよびプロ他スタントを含むキリスト教の大きな伝統である[Rogerson 1992]。聖書を字義どおりに解釈することは必要ではない。それはひとつの流行である。

5. 聖書を読むには、どのような社会で、どのような社会に対して書かれたかを考慮する必要がある。創世記1章が書かれたイスラエルでの問題は一神教と多神教の対立であった。自然の多くの面、光と影、大地と空、太陽と月と星、植物と動物が、別個の神々ではなく、すべて唯一神によるもであることを示すために、創世記1章は書かれている[Hyers 1983]。

6. 現実には、誰も聖書全体を字義どおりには読んでいない。たとえば、神が「(地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、)あなたたちの手にゆだねられる。」(創世記9章2節)と言ったとき、明らかに比喩的な意味である。

7. 字義どおりに読むにしても解釈が必要だ。たとえば「深淵の源」(箴言8章28節)とは何のことだろうか?

Links:
  1. Hyers, Conrad. 1983. Biblical literalism: Constricting the cosmic dance. In: Is God a Creationist?, ed. R. M. Frye, 100-104, New York: Scribner.

References:
  1. Augustine, St. 1982. The Literal Meaning of Genesis, vol. 1. Transl. by J. H. Taylor. New York: Newman Press.
  2. Hildeman, E. J. 2004. (see below)
  3. Hyers, Conrad. 1983. Biblical literalism: Constricting the cosmic dance. In: Is God a Creationist?, ed. R. M. Frye, 100-104, New York: Scribner.
  4. Morton, Glenn. n.d. Personal stories of the creation/evolution struggle.
  5. Rogerson, J. W. 1992. Interpretation, history of. In: The Anchor Bible Dictionary, D. N. Freedman, ed., New York: Doubleday, vol. 3, pp. 425-433.

Further Readings:
  1. Hildeman, Eric J., 2004. Creationism: The Bible Says No! Bloomington, IN: Author House.





コリントの信徒への手紙一 / 9章 9-12節

モーセの律法に、「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」と書いてあります。神が心にかけておられるのは、牛のことですか。それとも、わたしたちのために言っておられるのでしょうか。もちろん、わたしたちのためにそう書かれているのです。耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分け前にあずかることを期待して働くのは当然です。わたしたちがあなたがたに霊的なものを蒔いたのなら、あなたがたから肉のものを刈り取ることは、行き過ぎでしょうか。他の人たちが、あなたがたに対するこの権利を持っているとすれば、わたしたちはなおさらそうではありませんか。しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした。かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます。


ガラテヤの信徒への手紙 / 4章 22-24節

アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から生まれ、もう一人は自由な身の女から生まれたと聖書に書いてあります。ところで、女奴隷の子は肉によって生まれたのに対し、自由な女から生まれた子は約束によって生まれたのでした。これには、別の意味が隠されています。すなわち、この二人の女とは二つの契約を表しています。子を奴隷の身分に産む方は、シナイ山に由来する契約を表していて、これがハガルです。







最終更新:2011年08月13日 08:51