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年表 2= ~中学校編 幼なじみAさんの証言 ●お母さんが大嫌いだった。お母さんが恥ずかしい。 ●お母さんは街の人に「うちのカナエは点数100点で~」と自分の気持ちを無視して自慢するのがイヤだった(力士談) ●父親は「厳しいというより、感情のコントロールができない人だった。常にお父さんの機嫌を伺っていた(力士談) ●中1で、「これ、お小遣いだよ」、と幼なじみAさんに5000円をくれた。それはテレクラで得た金だった。 ●中1の6月、「今から中標津につきあってくれない?」といきなり言われて、ハイヤー(片道5000円往復1万円)を中学校まで手配された。それに乗って会いに行くと、おじさんと腕をくんで病院裏からでてきた。 週刊新潮11/12より ●一家は中標津にアパートを持っていて、そこから年上の男と出てくるのを目撃されている@中2か中3 ●読書コンクールに入賞も度々で、中学の授業中に高校の参考書を開いていても先生黙認で、優秀な子だった。 ●その反面、虚言癖があり、(力士の親は)親として受け入れがたい出来事を起こすようになる。 ●カバンのコンドームが母親に見つかり、カナエは「男の子から預かっている」と級友の名を出し、母親はそこへ怒鳴り込み、男子親は困惑。 ●円光で稼ぐ。 ●郵便局に私書箱を作り複数の男と連絡取りあう。その事を知人が母親に問うと、「私書箱はお友達募集のためでそれだけよ」と母親は答えた ※女の中学の卒業文集全文がありました ttp://www.sponichi.co.jp/society/news/2009/10/29/02.html #image(Ci091126152346.jpg)
年表 2= ~中学校編 幼なじみAさんの証言 ●お母さんが大嫌いだった。お母さんが恥ずかしい。 ●お母さんは街の人に「うちのカナエは点数100点で~」と自分の気持ちを無視して自慢するのがイヤだった(力士談) ●父親は「厳しいというより、感情のコントロールができない人だった。常にお父さんの機嫌を伺っていた(力士談) ●中1で、「これ、お小遣いだよ」、と幼なじみAさんに5000円をくれた。それはテレクラで得た金だった。 ●中1の6月、「今から中標津につきあってくれない?」といきなり言われて、ハイヤー(片道5000円往復1万円)を中学校まで手配された。それに乗って会いに行くと、おじさんと腕をくんで病院裏からでてきた。 週刊新潮11/12より ●一家は中標津にアパートを持っていて、そこから年上の男と出てくるのを目撃されている@中2か中3 ●読書コンクールに入賞も度々で、中学の授業中に高校の参考書を開いていても先生黙認で、優秀な子だった。 ●その反面、虚言癖があり、(力士の親は)親として受け入れがたい出来事を起こすようになる。 ●カバンのコンドームが母親に見つかり、カナエは「男の子から預かっている」と級友の名を出し、母親はそこへ怒鳴り込み、男子親は困惑。 ●円光で稼ぐ。 ●郵便局に私書箱を作り複数の男と連絡取りあう。その事を知人が母親に問うと、「私書箱はお友達募集のためでそれだけよ」と母親は答えた ※女の中学の卒業文集全文がありました >木嶋佳苗、北海道別海中央中学の卒業文集より > >三年×組  木嶋佳苗 >生年月日 昭和49年11月27日 射手座 >特技 ピアノ・食べること・寝ること >趣味 読書・料理・映画鑑賞 > >「卒業を迎えて」 > >幼稚園や小学校の時の思い出といえば、遠足や修学旅行、 >レクリェーションなどの行事が一番先に頭に浮かんだものだが、 >中学校生活を振り返ってみると、他の事の方が多い様に思う。 >考えてみると、実にいろいろな事があったものだ。 >一時は組織の中で部品化しているような大人達に、善人顔して、 >教育という名の嘘を教えられている様で耐えられなかった。 >そんな私に「もっと冷静になれ、素直になれ、やってみろ」と >教えてくれたのが、映画であり、音楽であり、絵画であり、 >先生達であったのかもしれない。 > >この三年間さまざまなことを考え、やってきた。何でも、 >自分に見せてあげたいって感じだった。今もその気持ちはうせてないし、 >これからもいろんなものを自分に与えていきたいと思っている。 > >自分が、こうだと決めたことは絶対信じたかったし、 >筋を通さないことがいやだった。だから、それこそまわりには、 >生意気で、ワンマンなかわいげのない子供に映ったんじゃないかな。 >でも、このことは、私を信頼し、賛同してくれる仲間がいたからこそ、 >出来たと思う。 > >この三年間、さまざまな「出逢い」と「別れ」があった。 >どれもすばらしい、大人へのステップになったと思う。 >いろいろな人と接するということは、自分が「世間」を広げるために、 >本当に大事なことだと思う。私の世間というのは、 >まだ別海町だけでしかない。でも、だんだん広がっていっている様な >気がする。広がれば物の見方が変わってくる。 > >今の歳で死とか愛とか生きがい、政治、経済、世界などというものは、 >漠然と考え込むことはあっても、実際自分の身に振りかかってきて、 >冷静に受けとめられる人っていうのは、まず少ないと思うし、 >ある意味では嘘だと思う。だから10代のうちに人間らしい >大人に出逢えると良いのかもしれない。 > >人間は決して一人では生きていけない。つくづく考えさせられた。 >だから、集団生活での決まりというものは必ず守らねばならない。 >守らないからこそ、大人達はより厳しいきまりをつくる。 >守っている者にとって、これほど迷惑なことはないし、 >大人達だっていい気はしないだろう。自分の考えを通すということと、 >自分勝手とは違う。自分がそこに生存していることを考えて、 >かつ、位置を見極められる人間にならなければいけないと思う。 >大人の世界はいろいろ難しいみたいだから、勉強しなくちゃいけないな。 > >私は「出逢い」というものを大切にしていきたい。 >●●先生との出逢いも●●先生との出逢いもSさんとの出逢いも、 >何十億もの人がいるこの地球の中での一対だとすると、 >すばらしい感激のような気がする。 > >私が大人になって同じレベルで話が出来る様になった時、 >是非会いたい人達であるし、恩返しをしなければならない人達でもある。 > >名前をあげればきりがないが、●●先生には本当に感謝している。 >あともう一人、Sさんの存在は、いろいろな意味でとても >大きなものだった。お世話になった人達にたくさんのありがとうを >贈りたい。 ----

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