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木村先生のお言葉 2009年01月16日 (金)


(編集者 注:他サイトの言葉を引用し、それを再編成したと思われる部分を次のように表示し、原文を下に転載しております。比較してご検討下さい。
aの部分 ※引用元と同一
bの部分 ※引用元と近似文
cの部分 ※引用元と近似文)

青森・むつをたびたび訪れているのは、へびの神様で有名な木村藤子先生にお会いするためです。

写真は、木村先生のご自宅のお手洗いに飾られている額です。昨日撮影。

この言葉が気に入り、著書にお名前と共に、筆でスラスラと達筆な文字で書いて頂きました。

去年は「許すこと 人それぞれに訳がある 時の違いの憎しみかな」。
一昨年は「人はみな 持って生まれし 罪がある 罪あらずして 転生はなし」。
という言葉を書いてくださいました。

今は相談者が多く、相談時のサインもお断りしているということですから、サインと木村先生のお言葉入りの本は貴重な宝物です。

「足るを知る」という言葉は、京都の龍安寺のつくばいに彫られた「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」で有名ですね。

満足することを知るということは幸せに生きるためにとても大切なことです。

人の欲望は際限がないですし、きりがなくそれを追い求め続けても、どこかで満足することを知らなければ幸せにはなれないでしょう。
心からの本当に幸せにたどりつくためには、どこで満足することを知るかを自分自身自覚することが必要かもしれません。

このような禅問答のようなものは、すぐに悟ることができないことでしょうが、考え続けていきたい言葉です。

「足るを知る者は富む」という老子の言葉もあります。

豊かさとは、「どれだけ多くのものをもっているか」ではなく、「どれだけ多くのものを必要とせずにいられるか」によってはかられる面もあるでしょう。

自分の欲望をコントロールできて、分に応じた満足を得ることのできる人は、たとえ貧乏でも心は富んでいる。
欲望にはきりがないから、これをコントロールできなければ、いくら財があっても満足できず心は貧者と同じ。

若い弟や妹夫婦の家庭を見ていると、本当の幸せは、物質的や経済的な富裕さだけではないということを思い知らされます。

愛する人と共に過ごす時間より幸せなことはないですものね。

今年は私も、「足るを知る」の精神を心がけて生きていきたいと思っています。


普通の日記



bの部分
原文と思われる文章
人間の欲望は際限がありません。
それを追い求め続けてもきりがありません。
どこかで満足することを知らなければ幸せにはなれません。
逆に、あなたの心の欲するものや夢に到るための条件が自分には無いとあきらめていませんか?
今現在の条件に満足することを知らなければ、心の欲する幸せにはたどりつけません。

cの部分
原文と思われる文章
京都の龍安寺というお寺に、右の図のように彫られたつくばいがあります。
このつくばいは、あまりにも有名なのでご存知の方も多いと思います。
真ん中の水を入れる四角を共有すると上から時計回りに「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と読めます。
文字通り読めば「私は満ち足りていることだけを知っている」という意味でしょうか。
「吾唯足知」というのは、もともと禅問答のようですから、本来は一生かかっても悟る事ができないような、
きっと難しい意味なのだと思いますが簡単に言ってしまえば
「満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、
満足することを知らない者はたとえ金持ちでも不幸である。」ということかと思います。