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料理は愛情表現そのもの 2008年8月9日 (土)


2008/08/09 20:26
Canon EOS Kiss Digital

昨晩から遊びに来ていた友人と、料理は愛情表現そのものだという話題で盛り上がりました。

家族でも友人でも、お互いを思いやるということは、ただ思っていれば良いというものではありません。愛は、やはり表現がなければね。思っていれば良い、感じていれば良い、好きだ愛していると言っていれば愛が育つわけではありません。

我が家に頻繁に遊びに来る人、私がご招待する人は、私が作るものに対して反応の良い人が多いです。

逆に言うと、反応の悪い人には作る機会がなくなります。

私が心を込めて作ったものに
対して、リアクションがなければ、その心が通じない人なのだと、心を込める必要性を感じなくなりますから。わざわざ気持ちを込めて作ったものでなくとも、市販品で構わない人なのだという認識になります。

作って差し上げることで喜んでくださる人、感想を伝えてくれる人には、作っている私自身が支えられるのです。料理にはそういう大きなパワーがあります。

料理は、ものの本質と向き合い、真心を込めて作るものです。

食を通して救いへ至る、その道筋を示し続けてくださっている、私が一番尊敬する料理研究家の辰巳芳子先生のような女性になりたいと思っています。

食べものから感じるいのちの手応え、食を魂の領域で語る人になりたいと、いつも願い、これからも努力を続けていきたいと思っています。

自由学園を設立し、婦人之友社を興された羽仁もと子さんは、すぐれた教育者で思想家であり、「祈りつつ、思想しつつ、生活しつつ、生きていこう」と提唱されました。

祈り、思想、生活の三つは、お互いに線引きできないもので、人間の実存と切り離せないものです。祈りは教会や神社だけで行うものではなく、思想は学問の場だけで行うものではありません。

日常において渾然一体としてあります。 一日一日が、生活の礎(いちずえ)となる、と考えながら暮らすことがいかに大事か。

祈りと思想、生活が渾然一体とある日常とはどういうものかを、これから考えていきたいと思っています。

写真は、梅蜂蜜シロップの水割り。

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