ミゼラブル 2009年06月09日 (火)


ダコワーズ生地です。

ダコワーズは、メレンゲをベースに作る生地のひとつです。かたく泡立てた卵白とナッツ類のパウダー(アーモンド、ヘーゼルナッツ、ピスタチオ、ココナッツ、クルミなど)、砂糖、小麦粉を混ぜて作ります。

スタンダードなバタークリームをサンドし、デコールはマジパンで作った薔薇。

このケーキ大好き。
コルドンに通うようになって、ますますバタークリームが好きになりました。

私より一回り以上年上のお姉さま達は口を揃えて、昔のバタークリームは美味しくなかったわよねぇ、あれはマーガリンクリームだったのかしらねぇ、とおっしゃいます。

昔のバタークリームのお話をされると年齢がなんとなくわかります。

私は田舎育ちですが、子供の頃から美味しいバタークリームのケーキを食べていました。
でもそれは、ケーキ屋さんのお菓子ではなくて、母や親戚の叔母や母のお友達が作ったバタークリームのケーキでした。

今までで一番美味しいと感じたバタークリームは、親戚で、大規模に酪農を仕事としているおばさまが作ってくれたもの。

自分たちで育てている牛から搾ったミルクから作ったバター。搾りたての牛乳で、作りたてのバターで、フランスの茶色いお砂糖で作ったバタークリームの美味しさといったら、あの感動は子供ながらによく覚えています。

しかも、普通の牛のミルクと、分娩から日が経っていない牛のミルク(初乳)で作ったバターの食べ比べをさせてくれたり、確かシロップを加えてコーヒー風味のバタークリームを作ってくれたり、親戚の中でも、特に美味しい物を食べさせてくれるオウチで、遊びに行くのがとても楽しみでした。

ただ、デリケートな我が弟と妹たちは、他人が作る物を食べられず、いつも私が下の子たちに割り当てられた分まで内緒で食べていました。(ご馳走してくださる方に失礼ですからね)

大人になってから、あそこのオウチで食べる物は、今思い返しても、いつも凄く美味しかったわよね~と姉妹で話すのですが、妹たちにとってはあまり良い思い出ではないらしいところが面白い。

妹たちは、なぜそんなに潔癖なのかわからないけれど、今でも他人が作ったものにあまり良い顔をしないので不思議。
多分母がとても丁寧に料理をする人で、神経質なほどお掃除や整頓をしていた人だったからでしょうか。
でも、同じ母親に育てられた私は、昔から鷹揚な性格ですからねぇ。不思議です。

現在三姉妹それぞれ毎朝お弁当作りをしておりますが、私は曲げわっぱに味重視のおかずを詰め、次女はキャラ弁の天才、三女はオリジナルおかず作りが得意、とそれぞれ個性的。
三人ともCOOK PADでキッチンを開きお世話になっていますが、それぞれのキッチンをご覧になっている方でも、私たちが姉妹だと気付く人は絶対いないはず。

私が過去最高に美味しいと思うバタークリームを作ってくれたお宅は、おじさまが獣医師の資格を持っており、おばさまは学生時代を東京で過ごし、おじさまは婿入りしたわけではないですが、おばさまのご両親が経営している酪農業を継いで、近代的な酪農に発展させ成功しています。

田舎には珍しいインテリ家族で、我が両親とは気が合い、子供の頃からよく交流していました。

自宅から見渡す限りすべて自分の土地。車で走っても走っても自分の土地。隣のオウチは遥か遠く。数百頭の牛さんたちが放牧され、敷地内に川も作って!その川の近くに小屋を建て、小屋と言ってもごく普通の一戸建てで、夏休みにお泊まりしたことは楽しい思い出。

2~30年前に、北海道の田舎で、ナチュラルチーズが何種類も食卓にのぼっていたことは、凄いことだったのだと、大人になってから知りました。

赤玉と呼んでいたエダムを仕入れて、我が家と半分に分けたり、エメンタールやグリュイエールでチーズフォンデュをしたり、寸胴鍋で数十人分のシチューやスープを作ってくれたり、お土産には一升瓶に何本も牛乳を詰めてくれたり、作りたてのバターや、牛肉をくれたり、お庭には珍しい犬種の大きなワンちゃんをを飼っていて、まるでハイジの世界でした。

一升瓶入りの牛乳やヨーグルト、生クリームを何本も頂いても、母はすぐに色々な処理をして美味しく頂いていました。
6人家族でしたが、さすがに何升分もミルクやヨーグルト
を頂いたら、そのまま飲むだけではなかなか消費できません。

搾りたての牛乳は、鍋に入れ温めて、お酢やレモンを入れて漉し、牛乳豆腐を作ります。そうするとあっという間に牛乳は何リットルも消費できます。
できあがった牛乳豆腐は冷やしてスライスし、わさび醤油で食べるのです。

ヨーグルトは、ゼリーにしたり、たっぷりのヨーグルトにカレー粉やスパイスを混ぜてチキンに漬け込んだり(タンドリーチキン風で、漬け込んだ後オーブンで焼く)、ヨーグルトドレッシングも美味しかったし、色々なフルーツを小さくカットしてヨーグルトと和えたデザートは子供たちの大好物でした。

生クリームは、ホイップしてお菓子に使うだけではなかなか減らないので、瓶に入れて子供たちに渡し、シャカシャカ振らせて、バターを作っていました。
根気強く振っていると、水とバターに分かれるのです。
お料理とお菓子用は無塩、トースト用にはお塩を混ぜてバットに流して固めていました。

思えば母は何でもバットで固めていました。フルーツゼリーもババロアも寒天も水羊羹だって、全部バットに流していたけれど、大量に作る時にはお菓子用の小さな型よりバットを何枚か並べてザーっと
流した方が合理的だったのでしょうね。

母は、お料理用のバターを作る時にもお塩を入れていたのですが、父が、料理用の塩は無塩に決まっているだろう!と怒りを込めて主張していたのを覚えています。

今考えると、バットいっぱいのバターって贅沢だったなぁと思いますが、そういう日常でしたから、バターはトーストに塗るものではなく、パンにのせるもの、という感覚になってしまいました。
子供の頃は、カロリーとかきにしませんしね。気にする年齢になった時には、何にでもバターたっぷりが習慣化して困りましたが、マーガリンはイヤだし、カロリー気にしてバターの量をちょっぴりにするなんてもっとイヤ。
あぁ、だから太る。

自分が子供の時は、そういう環境が当たり前と思っていたけれど、田舎で育ったのに、子供時代そういう豊かな食体験をさせてくれたこと、両親に感謝しています。

生涯の伴侶となる人も、豊かな食体験を持っている人が良いなぁと思います。やはり食の相性が良くないとうまくいかないですよねぇ。


おいしいもの

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最終更新:2009年12月06日 23:19