投稿100回目 ▲Thu, 27 Jul 2006 02:20:39 GMT

この記事で、ブログを開設してから三ヶ月で100回目の
投稿になるらしい。
日記感覚で書いているので、100回も投稿したとは
実感ないのだけれど、思ったより続いている。

ここ最近は、彼への欲求不満も、考えないようになってきた。
気にならないわけではないけれど、気にしてもしかたない
のかな、と半分諦めの心境かな。

私は、母を人生の目標にしようと決め、母の生き方に学ぼうと、
一人の女性として母を見るようになった。
その母に嫌われている彼とお付き合いをしているという現状は、
私にとって、物凄い葛藤を生み出している。

母だって、良いことがあり楽しく幸せな日ばかりでないけれど、
自分の中でプラスに転換できるエネルギーを強く持ち、
常に努力を継続して、まわりから尊敬され憧れる対象と
なっている母のことを、誇りに思っている。
幸せが綺麗を作るのだと、母を見ていると思い知らされる。

母は独身時代からずっと仕事を続けてきたけれど、
何よりも家族のことを一番に考えて、家事にも育児にも手を抜かず、
家族との時間、絆をかけがえのない大切なものと思っていることが、
私たちにも伝わり、
その気持ちが思いやりを育むことになっていたのだと、今感じる。

松任谷由実さんが、確か先月の日経womanで(この雑誌は高校時代
からの愛読書)
「安定には不自由が付いてまわるし、自由は孤独とイコール
でもあるので、そのあたりで葛藤が起きて、ひいては体に出る。
ファンタジーと現実の間、孤独と自由の間、
そして内面と身体にも折り合い、バランス、は求められる。
その点で、どうしてもある規範が必要になります。
私には結婚という形式にあえてこだわったりするような
コンサバな部分がありますが、たぶんそれでバランスを取って
いるのだと思います。」

と話していた。 そして

「ただ、自分が子供を持つという選択は、20代、30代、
そして今に至るまでまったく考えたことがありません。
ユーミンの辞書に「子ども」はいない、という感じです。
それでもふと一般常識に立ち返った時、私はそこをしなかったから、
何かが欠落した人間になっているのかな、と思うことはあります。
子どもを持っていたら、もっとバランスの取れた
大人になっていたかな。」と。

これは、正直な気持ちでしょうね。
どんなに素晴らしい地位と名声を得ても、子どものいない寂しさ、
虚しさを感じることがあると、よく聞きます。
私もコンサバなところがあって、結婚して子供を産み育てて
こそ一人前の大人だ、と思っている節があります。

私は教育関係の職場に勤めていて、それなりに責任のある仕事を
任されるようになって、子供の親御さんたちと話す機会があり、
私が独身で子供もいないことを知ると、見下しているような、
呆れたような顔をされることがあります。

どんなに裕福でも、時間があっても、自由があっても、結婚して
子供がいるということには勝てないのかしら、と
感じることもあります。

今は30代で独身でいることは、珍しくもないですが、40過ぎて
独身でいられるほど私は強くないことは自分が良く知っている。
40過ぎても、毅然と美しく、孤独を恐れていない独身の人が
いることも知っています。
でも、私はそういう生き方はできないでしょう。

人それぞれ幸せの形は違いますが、自分の夢を叶えるための
努力は惜しまずに、楽しみながら努力を継続して、
本物の幸せを手に入れたいと思っています。

ここ数年、辛く悲しいことばかりだったけれど、
どんなことからも逃げないで正面から向き合って、克服して
いきたい。

これから共に歩んでいく人が今の彼なのか、違う王子様が
いるのかわからないけれど、早く素敵なパートナーを見つけて、
同じ夢に向かって生きていきたいと願うばかり。

(終わり)



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最終更新:2009年12月22日 13:23