不信のとき ▲upThu, 31 Aug 2006 15:09:41 GMT

今期、必ず見るドラマは、二つ。
「結婚できない男」と「不信のとき」
私はアニメとか時代劇とかsfには全く興味がない。
現実感のないドラマなんて、見る意味がないと思っている。
nhkの大河ドラマも、一度も見たことがない。
自分にも起こりえるシチュエーションで、
感情移入できるものしか見ない。
アニメとか時代劇見て、「あ~、あるある」とか
「あ~いるわよね~こんな人」とか感じないでしょ。
「不信のとき」は、ホントに良くできている。
ドキドキしながら声出しながら見ている。

一番感じるのは、片親で子育てはできない、
してはいけない、ということだ。
子供を作るならば、両親揃って、
責任を持って育て上げなくてはいけないのだ。
それは義務だ。
それができないのなら、できる可能性が薄いならば、
子供を作るべきではない。

シングルマザーなんて響きが良いけれど、
そんな母親の勝手な都合で片親の子供を作るなんて、
ただの自己満足で、子供にはいい迷惑だ。
その子がどれほど肩身の狭い思いで育ち、その子の
心の成長にどれほどの悪い影響を与えるかを考えたら、
決してシングルマザーの道なんて選べないはずだ。
シングルマザーのほとんどが兄弟も作ってあげられず、
父親もいないうえ、一人っ子なんて最悪だ。
子供の気持ち以上に、母親自身のみじめさだって、
想像に難くない。
子供の頃、そのような環境で育った友人は
いなかったけれど、
大人になってから、そのような境遇で育ってきた人と
知り合うこともあった。
でも、皆、友人になりたいと思える人はいなかった。
心がひねくれているか、
何か勘違いしている人が多かった。

ここで言うシングルマザーとは、
病気や交通事故など不慮の死で旦那様を亡くした方
のことは入っていない。
あくまで、最初から、結婚せずに、一人で子供を産み育て
ていくと決めた女性のことだけを指している。
ドラマのマチ子のように、計画的に独身で出産しようと
するなんて、言語道断。
私は、望まない妊娠ならば、堕胎すべきだと思っている。
妊娠してしまったから、結婚はしてもらえないけれど
子供は産む、なんて選択肢は、
子供の将来を考えると、いけないと思っている。

私は教育現場で働いてきて、片親の環境で育った子で
優秀な子は、一度も出会ったことがないから。
学校の勉強の成績だけが良い子、というのはいたけれど、
心が壊れていた。

産みの親と育ての親が違って、それを幼い頃から
自覚させられてきた子の心は、壊れがち。
幼い子供に、そんな複雑な親の勝手な人間関係など
理解できないのだ。
それでも、子供なりに理解しようと頑張るから、
心がおかしくなる。
産みの親と育ての親が違う場合、産みの親は、
社会的地位が低かったり、病気だったり、弱者が多くて、
子供は育ての親を自分の親だと思い込もうとする。
でも、自分の本当の親は、産みの親だ、
自分は、産んだ子供も育てられない人間の子供だ、
でも、育ての親はよくしてくれる、という葛藤。
そこで、幼い子供の心は壊れていく。

私は高校生の頃から、養護施設(昔は乳児院や孤児院と
呼ばれていた施設)で福祉活動をしていて、週に一度、
そこで生活している子供たちと接してきたけれど、
大人になり、大成した人の話は聞いたことがない。
子供時代、いかに穏やかな精神状態で過ごすか、
ということの大切さ。
人として当たり前の平凡な幸せな環境が与えられない
子供の末路はどんなか、を考えると、
シングルマザーの罪は重い。

ふと川端康成の「伊豆の踊り子」を思い出した。
旧制高校生の20歳の主人公が
「孤児根性で歪んでいると激しい反省を重ね、
その息苦しい憂鬱に耐え切れないで伊豆の旅に来ている」
その旅先で
「花のように笑う」十四歳の踊り子に出会い、恋心を抱く。
彼女が「ほんとうにいい人ね」と言っているのを聞いて、
悩める青年は
「私自身にも自分をいい人だと素直に感じることができた」
グズグズしている自分が、一つの恋で、パッと晴れる。
恋愛のパワーとは素晴らしい。

私も、踊り子のように強い生命力、
突き抜けた明るさを持った女性になりたいものだ。




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最終更新:2009年12月22日 14:03