彼のお父様 ▲upSun, 02 Jul 2006 11:43:59 GMT

私は今札幌に来ている。 彼は今日、彼のお父様の新盆の法要があったらしい。
私の家では先祖が京都なので、 いつも八月に親戚が集まり「うらぼんえ」をする。
小さな頃から「うらぼんえ」という音を聞いていたけれど、
今回初めて漢字を調べた。
盂蘭盆会と書くらしい。

うちは、しきたりに厳しくて、お仏壇と精霊棚をお飾りして、
先祖代々の位牌を並べて様々なお供え物を盆器に盛り上げて、
先祖や死者の霊を家に迎え入れて、ご馳走して供養します。
何日目かによって、お供えする食べ物も決まっています。
新盆の場合は、家紋入りの白提灯を並べます。
迎え火や送り火を焚いたり、 茄子の牛やきゅうりの馬を作ったり
里芋、ホウズキ、小豆、粟、枝豆などを逆さに下げたり
ミソハギや水の子を置いたり準備が大変です。
お盆の終わりには、提灯で案内するようにして 霊を墓地まで帰らせます。
この後にお寺にその提灯をおさめます。
そして、お供え物は、白木の盆と精霊舟などにのせて、 川に流します。

子供の頃からこうして川に流していた、と彼に話したら
要領を得ない顔をしていたので、 これは地方独特の風習なのかも?
去年お星様になってしまった、彼のお父様のこと、私は本当に、
心から尊敬し、とても大好きだった。
一緒に住みたい、と心から願っていた。
お父様が生きていて、彼と結婚をしたら、絶対同居をすると決めていた。
それは私の希望だった。
もう高齢で身体も弱っていたから、介護生活になることはわかっていたけれど
それでも一緒に暮らしたかった。

私と彼のお父様には、彼の知らない思い出がたくさんある。
短い期間だったけれど、何度も二人だけで過ごした 大切な時間がある。
思い出すと、涙が止まらなくなってしまうので
今は心の奥にしまって、思い出さないようにしているほど
彼のお父様との時間は、私にとってかけがえのない、
大事な思い出で、宝物だ。

私がいたらなくて、お説教されることもたくさんあったし
怒られて何度も泣かされたし、感動的なお話を聞かせてくれて
泣いたり笑ったり、本当に楽しく有意義な時間だった。
彼とのことで悩んでいた時も、彼のお父様だけが理解してくれて、
私の心の支えになってくれた。
彼の味方をするわけじゃなくて、私をかばうわけじゃなくて、
公正な判断をしてくれた。

彼のお父様の為にお料理を作ることは、とても幸せだった。
いつも、深々と頭を下げて、ありがとう、とお礼を言って 喜んでくれた。
温かいスープやお味噌汁を作ってあげると、
お父様は必ず涙を流して喜んでくれた。
いつも、フリーズドライや、インスタントのカップのお味噌汁や
スープばかりしか食べていないようで、 お鍋でおだしから作る
新鮮な野菜をたくさん入れたお味噌汁をとても喜んでくれた。
お重に詰めたお弁当を持っていくと、
全種類一口ずつ ゆっくり召し上がって、味わって、喜んでくれた。

お誕生日のお祝いをしたことも、お正月におせちを囲んだことも、
大切な思い出。
私が行く時も、帰る時も、必ず手を握って、挨拶をして
感謝の言葉を口にする紳士だった。
いつもパジャマ姿だったけれど、その中身はとても立派だった。
人格者だったと、今でも思う。
今でも悲しい時や苦しい時に、彼のお父様の言葉を思い出す。
本当に素敵な人だったのだ。
もう、家の中を歩くことが精一杯の身体だったので
一緒に旅行をしたり、デパートでお買い物をしたりすることは
できなかったけれど、でも、彼の家でのお父様と過ごした時間は、
今でもはっきりと 私の心の中に残っている。
一度だけ、家のまわりを一緒に手を繋いでお散歩して、
近所のスーパーと和菓子屋さんにお買い物に行った事は素敵な思い出。
あんなに素敵なお父様に育てられた彼なのだから、
きっと素敵な男性になってくれると、信じてみようかな、と ...


(未完)


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最終更新:2009年12月22日 12:39