思いやり 2008年6月22日 (日)
 


日記原文

のどと鼻の不調から、咳まで出るようになってしまい、
すっかり風邪をひいてしまいました。
高熱は出ていないのが救いですが、
久しぶりの風邪です。
写真は秩父のお土産「ちちぶ餅」と「はらのたし」という酒まんじゅうです。

自分のまわりにいる人を見渡すと、
愛情にあふれた、おおらかで心の柔軟な人に囲まれていることを幸せに感じ、
感謝しています。

このごはん日記が、家族や知人とのコミュニケーションのきっかけとなっている
ことも嬉しく思います。

体調が悪い時、心身の強度が低い時には、マイナスのオーラを持っている人の
影響を受けやすくなってしまうので、しばらくコメント欄は閉じさせていただきます。
今までは削除してきましたが、たまに、
心の寂しい方からのコメントがあるので、好意で書き込みをして下さる方には
申し訳ありませんが、しばらくコメント欄はお休みです。

私が、毎日チェックしている好きなブログに
「母ちゃんちの晩御飯とどたばた日記」があります。
「母ちゃん」が私と同じ名前で年齢も近いということも
親近感があり、更新を楽しみに毎日しています。
旦那さまと三人のお子さんとワンちゃんの幸せそうな生活の様子が、
食卓中心に書かれているのですが、6月9日の日記の「独り言」を読んで、
どんな人も良いこと、幸せなことばかりではないのだと考えさせられました。

特にネットは、顔も見えない見知らぬ相手に対して、人は残酷にも汚くもなることが、
簡単にできるけれど、そんなことを平気でする人間と交流を持つことはしたくない
と思っています。

もう何年も前に人間関係に悩んでいた時、私の憧れの存在、理想の女性、目標の人と
思っている年上の女性からアドバイスされた言葉は、いつもいつも思い出して反芻しています。

皆と仲良くしなければいけないと考えて思い悩んでいた時に、

「私もそう思っていた時がありますが、
それは不自然であり不可能なことだと思うようになりました。
「共通する心」があれば何も考えなくても自然と距離は縮まるものなのですよね。

人と人の付き合いの寿命ってあるんですよ。
どんなに長くても、反対に短くても、仕方がないのです。
出会ったものは別れるのですからね。
心のなかでは人のお付き合いに順番や境をつけても構わないのですよ。」

という言葉に私は救われました。

人生とは人との関わり合いで成り立っているのですから、常に思いやりの心で
向き合わなくてはいけませんね。

他人から見れば、幸福そうで、華やかで、羨ましいとさえ思えることも、
本人にとっては、人知れぬ苦労があることは察しられます。

ブログを書くというだけでも、心に溜まっているストレスを吐き出すことが
できて気が軽くなることもあります。

ハッピーな日ばかりでなくても自分の中でプラスに転換できるエネルギーを
持ちたいと思っています。

家庭の中で、日々繰り返されるささやかな食の営みを、愛情をかけより豊かで
充実したものにすることで、その当たり前の日常の食事が、どれほど人の体と
心を丈夫に育てていくものであるかをこれからも学び、考え続けていきたいと思います。


普通の日記





上記の日記文について現段階の調査状況

(1)他サイトからの引用と思われる部分について
他サイトからの引用・もしくは類似部分を で表示します。

引用元の可能性のあるサイト ttp://www.makikofujino.com/school/lesson_menu.html (魚拓)

日記原文+引用部分 比較開始

(略)
家庭の中で日々繰り返されるささやかな食の営みを、愛情をかけより豊かで
充実したものにすることで、その当たり前の日常の食事が、どれほど人の体と
心を丈夫に育てていくものであるかをこれからも学び、考え続けていきたいと思います。


《藤野真紀子氏のスクール案内文より》
家庭の中で日々繰り返されるささやかな食の営み。それは実は家族との大切な思い出の積み重ねでもあるのです。
の当たり前の日常が、どれ人の体と心を丈夫に育てていくものであるかを私は自分の人生を通ししっかりと実感して参りました。



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最終更新:2010年01月17日 19:47
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