クレソンのポタージュ~スープに込める思い 2008年7月3日 (木)


今日、母から北海道で収穫されたクレソンを茹でて冷凍したものがた~くさん届いたので、
さっそくポタージュを作りました。

これは私が敬愛する料理研究家、辰巳芳子先生に習ったスープです。

クレソンは、ヨーロッパから明治初期の渡来後、日本中に生育したほど繁殖力があります。

クレソンをサラダやひたしものにする場合、軸を食べることは困難であるけれど、
ポタージュにして摂取する利点は、クレソンの軸を刻んで、ベースの段階で蒸し炒めをし、
ピュレして取り入れられるところです。

フランス人は刃先も刻んでベースで蒸し炒めしてしまうので、色もおとろえ香りも乏しく
なるゆえ、辰巳先生は、葉先は巧みに湯引き、氷水にとり、刻み、ミキサーにかけます。
このクロロフィルを仕上げる寸前にベースに加えます。
ビタミンも、色も香りもフランス式より勝っているでしょう。

Hさんから頂いたソルトバスに入浴しながら、クレソンのポタージュのことを考えていたのです。

辰巳先生はクレソンのポタージュを、床ずれができてしまった方に食べさせたい、
とおっしゃっていました。
クレソンは壊血病(ビタミンCの欠乏による病気)に抗する成分があることが、
床ずれの方に・・・と願うゆえんです。

私は月に一度、鎌倉へスープ教室に通っています。

スープ作りという形を通して、心をこめる、込め方を学んでいます。

命を支える、命を養うスープです。

辰巳先生がスープ教室を開くに至った情熱は、お父様の8年に及ぶ言語障害を伴う半身不随
の病苦であったそうです。
病苦の中の嚥下困難がスープと結びつきました。
一椀の中に、魚介、野菜、穀類、豆を随時組み合わせ、ポタージュリエにしたものは、
病人も、作る本人も安心の源だったそうです。

人が生を受け、命を全うするまで、特に終わりを安らかにゆかしめる一助となるのは、
おつゆものと、スープであると確信している、と。

人の生命のゆきつくところは、愛し愛され、一つになることを願い、それをあらわさずには
いられない仕組みを生きるところにあります。

命の瀬戸際を握るもの、スープを一杯飲めるのと、飲めないのとでは、命がこっち向きに
なるか、それがないために、もう向こうに行かせるよりほか仕方がないか。
家族がそういう状態になった時、ぜひに命はこっち向きになってもらいたい。

介護、看病に追われる日々も、
家庭生活の愛と平和を、スープが何気なく、あたたかく守り育ててくれますように。

Hさんのことを思い出して、そんなことを考えながら、クレソンのポタージュを作りました。

今日のごはん

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最終更新:2009年12月03日 13:28