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地裁が泣いた  Fri, 21 Jul 2006 06:38:41 GMT

確か3月に読んだ新聞に、気になる記事があった。
題字に「地裁が泣いた」とあった。
記事を読み進めると、涙が溢れて新聞が濡れて破れてしまったほど、涙が止まらなくなった。
新聞記事を読んで泣いたのは二度目。
一度目は、大阪教育大学付属池田小の8人の生徒(子供)が殺された事件で、被害者の親達が
寄せた文章を読んで。それ以来の号泣。

介護疲れと生活の困窮から合意の上で、認知症の母親(当時86歳)を殺害したとして
承諾殺人などの罪に問われた54歳の息子の判決が、今日言い渡された。
京都地裁で行われた論告求刑公判では、検察側は
「犯行は命の尊さへの理解に欠けたもの」として懲役3年を求刑した。

弁護側は「片桐被告は心の底から母を愛し、最後の最後、母と2人行けるところまで行った。
その生き方は道義的には非難できない」と述べ、執行猶予を求めた。
「できるだけ人に迷惑をかけずに生きようと思ったら、命をそぐしかない」と
被告人質問で息子は、心中をはかるまでの経緯を語った。
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」とも言っていた。
殺害時の二人の最後の会話は、今思い出しても涙が止まらなくなる。
母を殺した後、自分も自殺をはかったけれど死にきれなかった息子。

その息子のかばんに残されていたメモには、父親の死後約10年間
相談相手がいない不安感や疲れ、経済的苦しみが記されていた。
母親の認知症の深刻な症状まで、細かく書かれていた。
息子は仕事を辞めて、週2回ほど、特別養護老人ホームのデイサービスを
利用しながら自宅で介護に専念していた。
生活保護を受けようと区役所へ2度申請したが
失業給付金の受給などを理由に基準を満たさず断られた。
そして昨年末、母の体調不良を伝え、ホームにも顔を出さなくなった。
デイサービスにかかる月2万円を工面することもできない経済状況だったそうだ。
最後には月3万円のアパートの家賃を払うこともできなくなっていた。

介護と両立する仕事は見つからず、失業保険の給付も終わり
力ードローンの借り出しも限度額に達した。
生活保護の再申請ができることを、なぜ福祉事務所の職員は教えて
あげなかったのだろうか。現在生活保護受給者は100万人を超えたらしい。
生活保護生活保護者が多いことは、生活保護を受給せざるを得ない
底辺層が増えたということで、格差社会は本当なのだと思う。
生活保護受給者が増えたから、生活保護の制度を変えるのではなく
生活保護を受けざるを得ない人が増えてしまったことに対する対策が必要であろう。
介護による殺人事件の多さと福祉行政については、社会問題としてきちんと考えなくてはいけない。
息子には、懲役二年六ヶ月に三年の執行猶予がついた。
今はとにかくゆっくり休んで、自分の命を大切に生きてほしい、と思う。

(終わり)