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リワマヒ国服飾史・下着編



 リワマヒ国は、南国人国家です。その国土は夏季と冬季の寒暖の差が50度近く、年間を通して降水量が蒸発散量を上回る湿潤気候という、きわめて厳しい気候条件を持っています。また、年に一度のリワマヒ川の氾濫によって国土の大部分が水没し、その影響で国内の土地には熱帯雨林の他沼沢地や湿地が数多く存在しています。
 このような気候条件、自然条件に合わせて、人々の生活も営まれています。年に一度の氾濫期を重ねるごとに、人々は自然を征服するがごとき開発を推し進めるよりも、自然と調和共存する道を、ごく当たり前のように選択していきました。

 その自然との調和共存は生活分野でも多岐にわたります。ここではその一分野である服飾、特に基礎ともいえるアンダーウェアについて、説明させていただきます。


1・一般国民の標準的な下着


 一年の大部分が熱帯湿潤気候であるリワマヒでは、日中のうだるような暑さを避けるため、国民の大部分はパレオで下半身を覆って布帯を巻く程度の軽装で過ごしています。女性もやはり同じような装いで、胸元をパレオや下着(後述)に合わせた布で覆ったりしています。人によってはその上に更にキャミソールやビスチェ等を身につける人もいます。
 リマワヒの主産業である農業に従事する国民は多く、老若男女を問わずその服装で畑へ出て働きますし、時には林の中に分け入って果実やキノコ類を採取することもあります。またパレオをたくし上げた程度の準備で、川や海の浅瀬で小魚や貝を採る人も多くいます。
 そのため、簡易かつある程度の動作にも崩れず、通気性が高く履き心地の良いものが求められました。結果生まれたのが長い布、もしくは布の先端にT字型になるようにヒモをつけた短い布で局部を覆うというものです。これをリワマヒ国では「褌」もしくは「下帯」と読んでおり、更に用途によって形状が変わります。
 以下の項目で、更に細かく説明させていただきます。

農業、商業等に従事する国民の場合

 激しい動きがなく、どちらかといえば一日を通して快適さを求められる職業に従事している人々の場合、使用される褌は比較的少ない布地の片方の端に紐状の布を取り付けたタイプのものが好まれます。使用するときは布を体の後ろに垂らしてヒモ部分を腰に巻き、布を股に通してヒモに引っかけるようにして余った部分を前に垂らします。
 使用されている布地は木綿や麻が大半ですが、裕福な人は絹を使用していたりもします。また、色も白一色が主流ではありますが、特に若い人たちの間では様々な色や模様が入ったものが好まれ、パレオや腰帯、装飾品とコーディネイトしてみるといった隠れたおしゃれを楽しむ人も少なくありません。

軍隊、漁業、土木建築業等に従事する国民の場合

 激しく動くことが多く、快適性よりも局部をしっかりと固定すること、崩れたり解けたしないことを重要視される仕事の場合、長い布をたっぷりと使って布の端をコヨリ状にし、それをもってしっかりと腰や臀部を締め上げ留めるタイプのものが好まれます。使用法は上記の通りですが、留め方や前に垂らす布の有無は、職業や時期によって変化があります。
 使用されている布は上記と同じく主に木綿や麻、こちらは比較的消費サイクルが早いためか、あまり絹は好まれないようです。

主に女性

 女性の場合、仕事の如何に関わらず短い布の片端にヒモがつき、布の反対側を袋状に縫い込んだ中にそのヒモを通して、それを腰の脇で結ぶといったタイプのものがほとんどです。
 こちらも主流は木綿や麻ですが、男性向けのものに比べて絹の利用率が高いのも特徴です。装飾もこちらの方がより種類が豊富で、色や模様は勿論、レースを縫い込んでみたり刺繍が入ったりと非常に華やかです。また、ヒモもレースやビーズをつけていたりと凝ったものも多く、わざと腰高に結んでパレオを下げて巻き、ヒモだけを見せる装いを楽しむ人もいます。

 こうした下着類は、ツキジ市場にある店で買う人がほとんどです。庶民の味方である市場では、さほど上等ではない生地で作られた褌が大量に売られ、特に女性達は集団で行って品定めをし合いながら買い物を楽しみます。同じように店が建ち並ぶ区画でも、銀の街や橋の街の店はもう少し高級な素材を扱っており、次に紹介します上流階級の人々の身につける下着と併売されていたりします。
 また、気に入った生地を買ってきて自作する人も多く見られます。女性は勿論、作りが簡易なだけに、男の人でも自分の好みの形や色、ヒモの長さで自作することが出来ます。成長の早い子供の褌などは、大抵母親が手作りした物を着せています。

2・上流階級の標準的な下着

 官公庁に勤めたり、医者、学者といった学識階級、富裕階級に属する人たちは、普段身につける服装が全身を覆うガウンタイプ、もしくは貫頭衣タイプの物が大勢を占めています。暑さを考慮してそれらの布は大抵薄手の生地で出来ているため、その下にまとう下着も褌や下帯ではなく腰から下を多う腰布が主流です。彼らの大半は一日を机の前で過ごす仕事をこなしているため、そういった締めつけのゆるいものの方がすごしやすいのです。また、薄手の生地で作られた上着は透けやすく、そこから下肢を露出させているさまが見えるのは品のないことと言われています。
 通常彼らはまず下半身を覆う腰布を体に巻き付けるように身につけ、その上から上着を着ます。このため、腰布と上着をうまくコーディネイトすることは、その人のセンスや財力を表す大事な指針となります。
 よって、上着のみではなく腰布にも十分気を遣い、凝ったものをまとう人が多いのです。材質の主流は絹、上質の麻も好まれます。その上で織り方にもこだわり、錦糸で細かい刺繍をあしらったり手仕上げの総レースをあつらえたりする人もいます。女性などでは、自分の体の形に合わせて立体裁断したものをわざわざ作らせたりする人もいるそうです。

 上流階級の人々はこうした腰布を買い求める時でも、利用するのは銀の街や橋の街の高級品を扱う店に行きます。より裕福な人々になると、まず生地から買い求め、その場で寸法を合わせて作らせたりもします。人によっては、他国より生地を買い求める事もあります。
 前藩王時代にはそうした華美に走る傾向を抑制する働きがほとんどなく、人々は金に糸目をつけず先を争うようにして高級な生地や素材を買いに走りました。
 しかし現在の為政者である兼一王の御代になってからは、藩王自身がつねに質素な生活を好まれたことも強く影響して、かつてのような狂騒ぶりはなりを潜め、そういった覇を競い合う人もいなくなりました。その代わりのように美的センスというものが争いの主戦場となり、ファッションリーダーとしてリワマヒの流行を左右するような人々も多く現れています。

3・冬季における下着の変化


 夏季の暑さとは裏腹に、リワマヒ国の冬は国中が降雪に覆われ日中の気温も氷点下十数度に達するという、一国丸ごと氷付けにでもなったような気候変化に見舞われます。それに備えてリワマヒでも衣替えは欠かせませんが、下着の内容も合わせてかわっていきます。
 一般国民は基本的に身につけるものは褌で変わりませんが、男女ともにその上から羊毛製、あるいは革製のぴったりとしたくるぶしまでのタイツを履きます。革はリワマヒでも大量に飼育されているヒツジの革で、柔らかく軽い上に防寒性にも非常に優れています。
 大量生産品は無染のままだったりなめして縫い合わせただけのものですが、多少値のはる物になってくると肌に当たる部分を起毛加工したり染めたりしてあります。
 上流階級の人々は、まず褌を身につけた上で同じようにタイツを履き、その上から腰布をまとう形になります。この場合、タイツも羊毛やヒツジ革ではなく毛皮等になり、腰布も同様です。人によってはわざと上着の裾を割り腰布とタイツを動きによって見えるようにして、身につけているものを誇示したりもするようです。

4・流行の移り変わりなど


 形状はそれぞれの用途にあわせほぼ単一に近い褌にも、時々によって流行があります。それは男性の場合前垂れ部分や締め方へのこだわり、女性の場合はヒモの形状や素材に現れることが多いようです。他にも模様や文様、色などにも、流行は現れます。
 そういった流行発信地として外せないのが、藩国にある劇場「永久座」の存在です。伝統芸能から最新の時事ネタや風俗を織り込んだ前衛芝居まで幅広い演目で多くの国民の支持を集めている「永久座」では、衣装は勿論下着についても何人もの専属デザイナーがいて、国内のモードを牽引しています。
 どのような形でその喧伝が行われるかというと、看板役者の衣装の幅を狭めて裾が割れやすくし狭間からちらりと覗かせるような手法や、わざと透過性の高い生地で上着を作り上げて内側の腰布をよく見えるようにする手法です。その威力は素晴らしいもので、新作がかかると翌日からその時使用された褌と同傾向のデザインの物が店頭から全て消える程です。

 また、そうした見せ方の工夫は普通の国民達にも受け入れられ、見習う者も後を絶ちません。農作業中にパレオの裾をからげて長くした前たれを見せる傾向は、かなり昔から見受けられていました。男性の間では、前たれ部分に自分の家紋を染めたり刺繍したりということが、一時期流行しました。現在は前たれ部分の端を腰に回したヒモに挟み込んで、山形を作ることも流行となっています。

 漁業、特に小舟に乗って城前と呼ばれるリワマヒ湾を行き来する漁師達の間では、白の晒し木綿を普通より長めにブツ切りにした物を、端をかがらずにそのまま締めることが『粋』なことと言い習わされており、事実湾内の小舟のあちこちで、そうした褌一枚だけで漁にいそしむ人々の姿を見ることが出来ます。

 流行と言うよりは俗信のたぐいで、赤い褌を身につけることが健康に繋がるという言い伝えがあります。その為か、リワマヒの子供達はその大部分が、親の祈りを籠めた赤い褌を身につけています。

5・時代による下着の変転


 非常に閉鎖的であった前藩王から現在の統治者である室賀兼一王に王位が継承された後、開放路線へとリワマヒ国の政策も転換されました。
 その結果、各国との交易が盛んになり、大量の輸入製品が国内に流れ込むことになりました。また、出入国も前藩王時代のような規制がほぼ撤廃され、他国への観光・他国からの観光といった人の流れも激しくなってきています。
 下着についても、他国の製品が多数輸入紹介され、若い国民の間ではそうしたインポート物を身につける事が現在の流行となっています。特に、簡易かつ機能的な製品は学兵を中心に支持を集めており、近く官給品として支給される動きもあるようです。
 一方で昔ながらの褌にこだわる層もあり、他国からの製品を受け入れる層に対し、軽々しいと厳しい目を向ける人たちもいます。
 リワマヒ国はそうした意味で現在過渡期となっており、多様な選択肢が国民の前に用意されていると言えるでしょう。それこそが、現在の開放路線の恩恵の一つといっても、過言ではありません。

番外・祭礼の際に着用される特別な装束について


 最後に、リワマヒの重要な祭祀の一つである『天鎮祭』において着用される特別な装いについてご説明いたします。
 藩国の為政者である他に、リワマヒの藩王にはもう一つ祭礼の祭司という重要な役割があります。その役割において最も重要な祭礼が、年に二回盛夏の時期と厳冬の時期に行われる『天鎮祭』です。藩国最大の遺構であるサカサコタツ遺構にて行われるその祭礼にて、藩王は定められた祭司の装束を身につけて儀式を執り行います。ここでは特に、夏の天鎮祭時の装束について記します。

 夏の天鎮祭で用いられる装束は錦織の褌と腰布です。褌は前たれの部分が足首まで届く長さと体の前半身を多う幅を持つのが特徴で、五色の糸と金箔銀箔をふんだんにあしらって藩王家の家紋、祀る神を表す紋、吉兆を表す動植物などが織り込まれています。また、両脇から体の後ろ半身を覆う形となる腰布は、同じように錦織で豊饒を祝ぐ様々な絵巻が描かれています。これに錦の帯を巻いて上半身には伝来の装飾品をつけ、祭司の杖を持って、祭司の正式な装束となります。
 褌腰布は共に数百万にゃんにゃんを費やして作られた特注品で、これを前藩王の時代には毎年氾濫するリワマヒ川にあやかって年ごとに新しく作り上げていました。
 現王、室賀兼一王は新調する慣習を改め、即位の年に作らせたものをその後も続けて着用されています。とはいえ、豪華絢爛で他国から来た人々には非常にエキゾチックに見えるその装束は、毎年訪れる観光客の耳目を惹きつけて止みません。



  • コラム:3400755:ちひろ:リワマヒ国
  • イラスト:3400672:シコウ・アル・ナスライン:リワマヒ国