ノダゴローとは


NODA GORO PROFILE

本名 秘密。

1998年、アコースティックギターソロの作・演奏家として独立。

(95年、人生最大の師、ギタリスト・廣木光一に出会い、その精神に打たれる。
家を出て18年後の36歳(98年)で、何の後ろ盾も無く、専業音楽家として、音楽だけで生きる道を歩み始める。
以来6年間に30タイトル以上のCD、DVDを発表。 スカパー、『ECO MUSIC TV』などの音楽も手がける。)

01年から毎年、03年は、3ヶ月をヨーロッパで活動。

1997年 16年の社会人生活から足を洗い、音楽だけを生業として生きる道を選択。


「一音一音すべてに精神が宿っているものこそが、真の音楽、」と、音楽の精神性についてもっとも重きを置く演奏が近年になってようやく市民権を得る。

音楽だけを生業として生きる、「健康で文化的な『最低の』生活」、の、幸福。

ヨーロッパにも活動場所を見出し、2001年から4度の渡欧。オランダ、イギリス、チェコ、スイス、ドイツ、オーストリア、を歴演、オランダ、ガンビア、ジャマイカ、ロシア、アメリカ、スイス、ドイツ文化を基とする、音楽家だけではない、舞踏、料理、画家、写真などのプロフェッショナルとのコラボレーションを展開する。

2004年、急性心不全で倒れ、療養を余儀なくされる。同時に高血圧症、糖尿病性腎不全などを抱えながら 2005年演奏活動を再開。2006年6月7日没

使用楽器
小坂弦楽器工房 複弦バリトン アコースティックギター
クレオバンブ- ナイロン弦 アコースティックギター



独ECMレコードからアルバムを出すのは、、大きな目標。2005年7月。ECM本社にプロモーションに行った。何の連絡も無く、ノーアポで行ったので当然、社長 manfred eicherには会えなかった。応対してくれた人に、3枚のCDを手渡すことに成功。「どれだけ時間が掛かるかわから無いけれど、、でも、どれだけ掛かっても、必ず聴くから、」と、言われる。


音楽だけで生きている。
音楽に出家したようなものだ。
永遠の自問自答。それが音楽。

演奏して、次の演奏まで、食べるものと寝るところ、を与えてもらって、次の演奏場所への切符を頂ければ、生きてゆける。着るものも、誰かがお古をくれればいい、僕は、『お金』に触れずに生きてゆきたい。さふいふものに、わたしはなりたい。

音楽の托鉢、なのだ。


自分の作曲した音楽だけで生計を立てるのは至難の業であったが、
なんとかそれだけで生活してゆけるようになった途端、

2004年4月 心臓病治療のため 入院治療。6月復活。活動再開。

1997年 画家 堀口ケイの作品をジャケットアートに起用して、ファーストアルバム「ATLANTIS」 発表。
1998年暮れ 演奏以外に収入のない生活を開始。
1999年 写真家 水野秀彦と、CDブック「子供の情景」 共作。各地で共演。
2000年 伝統芸能士 村田清光氏の三重県民謡保存プロジェクトにプロデューサー/エンジニア/演奏者として参加。
2000年 平松加奈(vln)と2度目の共演、このときの演奏がCD化、 オランダで発売される。
2001年 ギタリスト 廣木光一氏と初共演。
2001年 ユニセフ支援チャリティーイベント「子供たちよ未来へ!」を主催。
2001年 初渡欧。録音と演奏活動。オランダでのCDプロジェクトに参加。(CD「WaterSuite」) 
2001年 写真家 山野耕治氏の個展で演奏。氏を題材にしたCDアルバム、「誰もが黙してる」を発表。
2002年 大工 進士まさつぐ氏の観月会にて杉浦薫氏(チェロ・名フィル)と共演。
2002年 画家 堀口ケイとのライブペインティング開始。
2002年 2度目の渡欧。オランダ、ドイツで現地の音楽家と演奏活動、CD制作。
2002年 写真家 山野耕治氏の作品集の映像化(DVD VTR)に着手。
2003年 画家 近藤健治氏の個展で演奏。
2003年 3度目の渡欧。 スイス人舞踏家 Rosula Blancと 英国、チェコで共演。スイスではソロコンサート、オランダでは Ebou Gaye(gambia/Perc)らと録音、演奏活動。
2003年 三重県と愛知県の民謡保存プロジェクトにエンジニア、ディレクターとして参加。
2003年 ピアニスト 渋谷毅氏と初共演。 ギタリスト 廣木光一氏と共演。
2003年 ECO MUSIC TV (スカパーch268) の音楽を制作。(02年より)
2004年 山野耕治氏の写真作品集 DVD、VTRが全国発売。(音楽と、ビデオ編集作業のすべてを担当。)
ライナーノーツを執筆頂いたシンガー、三上寛氏のご尽力で オックスフォード大学の図書館に所蔵された。(未確認)
2004年3月~5月 心臓病でツアーをキャンセル、一時期は楽器を弾く事すら 医者に止められる。さらに、退院直後に足を骨折入院。6月いっぱいまでを棒に振る。

2005年 1~6月 6回連続のワークショップを実施。ノダゴロー6年間の活動の集大成として その音楽のつくりかたを伝授。
2005年 夏、四度目のヨーロッパへ。 ウィーン~ドイツ~オランダ。
最終更新:2007年01月05日 17:47