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第十二話/ /第十三話*


 第十三話 執筆者:柊南天

 五年前.南極大陸──

 氷点下数十度に及ぶ極寒の冷気の中を乾いた銃撃音が伝播し、頭上数百メートル先の上層施設区画から届く。散発的に木霊するその銃声が何を意味しているのか即座に察知し、周囲で狭域警戒態勢を展開していた先遣分隊にハンドサインで指示を送る。的確に反応した隊員達が狭域警戒態勢から第一種戦闘態勢へ陣形を移行し、それぞれの小銃の銃口が上空に向けられる。
 次第に接近してくる銃撃音を耳に捉え僅かな焦燥感を胸中に抑え込みながら、すぐ後背下方部の剥き出しになった地層断面の前に膝をついている二人の人物の背中を注視する。
「おい、嗅ぎ付けられたぞ」
「分かっている。焦るな……」
 対放射線用の重厚な防護服を纏う、右手の大柄な女がこちらを振り仰ぐ訳でもなく、加えて此方に対してひどく抑揚のない口調で言う。その不気味さすら覚える落ち着いた姿勢が、彼女が元レイヴンであるという噂か、或いは気の違った考古学者の思考のそれからくるものなのか、一瞬思案した。
 恐らくは、その両方なのだろう。少なくとも、前者の可能性については自分が断言できる類のものである。
 そして同じく、地層の断面に張り付くようにして腰を下ろしている隣の華奢な体つきの男に対し、彼女が言葉を投げかけた。
「照会記録と適合したが、間違いないか──?」
「ああ──テラ・ブーストだ」
 一拍置いてからその聞き慣れない言葉を紡いだ男の口調は、わずかではあるが歓喜にも似た震えを孕んでいた。二人の男女が貼り付く地層断面から俄かに染み出している“ソレ”を背中越しに見やり、氷点下数十度の冷気の中にいるにも関わらず、じっとりとした厭な汗が背中を流れていくのを自覚した。
 施設自体の気温調整にもよる、過度の低温状態にある地層の断面から半分剥き出しになりその姿を覘かせている、やや黒みがかった濃緑色の鉱石がそこにはあった。そして、それらからは僅かながらも気温の変化に反応して白緑色の靄のような物体が発生している。
 出動時の入念なブリーフィングで、その鉱石と粒子体が何であるとされているのかについては、部隊指揮官としてよくよく知り得ているつもりだった。だが、人類史が途絶えてそのさらに数世紀以上も前の断片的な記録としてしか残されていない事実関係では、それがどれほどの存在性を内包しているのものなのか、ブリーフィングでは全く理解できなかったのだ。
 だが、こうして直接相対している今だからこそ分かるものがあった。
 畏れにも似た原始的な感情、それが自分の意思とは関係なく心の底からじっとりと噴出してくるのだ。そしてそれは同時に、ある種の危うい妖艶さすら放っていた。
 その粒子は、見る者の正気を揺さぶる程に濃い瘴気を放つ。実際実例として自分の他に、眼前の二人がそうであった。口を震わせていた左手の男は、同様に震える手で採掘作業を始めながら、誰に言う訳でもなく言葉を紡ぐ。
「ようやく見つけたぞ……。本当に長かった……」
 短い、ただそれだけの言葉。だが、それに彼が苦心してきたそれまでの半生が集約されていた。女の方と同様、彼という人物についてはそれほど深くは知らない。
 ミラージュ社帰属のレイヴンとして数ヶ月前の作戦失敗の責を負い、左遷された南極基地で偶然出会っただけに過ぎない極めて淡泊で、しかも薄い繋がりだ。
 しかし、その数ヶ月だけで、彼という人物が何に生涯をかけて生きてきたのかを計り知るには充分過ぎた。彼はそこまでに、狂気染みた純粋さに従って地球の果てとも言えるこの地で、その身を摩耗してきていた。
 彼は自己を顧みない男だったが、南極基地の全ての人間から愛されていた。
 作戦失敗の責の上の左遷という不名誉によって、矜持を圧し折られていた自分も、少なからず彼の情熱に救われていたのは、恐らく間違いない。
 彼──エイジロウ・コジマという人物はそういう人物である。
 二人の学者が精密作業を進行させる様子から視線をずらした瞬間、頭上からひときわ大きな轟音が響き、視線を跳ね上げた。黒々とした爆炎が上層区画から立ち上り、爆風に吹き飛ばされたのだろう瓦礫片と部下の兵士達の残骸が頭上を落下してくる。そしてその背後、噴煙を突き破って"そいつら"は現れた。
「敵性動体侵入、降下してきます。間違いありません、パルヴァライザーです──!」
 奇怪な動作音をまるで野獣の咆哮の様に上げながら、対人戦用に調整された旧世代の亡霊達が急降下してくる。第一種戦闘態勢に従って部下達が自己判断により迎撃応射を展開、無数の火線が採掘トンネルを駆け上がり、いくつかの亡霊達を撃ち貫いていく。
 しかし、的確な迎撃射撃を持ってすら亡霊達の侵略は止められそうになかった。後方から無尽蔵にそいつらは湧きだし、次々と最下層の採掘区画目がけて降下してくる。
「第五、第六分隊反応途絶、第四分隊も駄目です──! 軌道施設への退避を、隊長っ」
 通信要員の兵士が大声で報告し、自らも迎撃応射を展開しながら地層断面に変わらず張り付いている二人の方へ走り寄る。
「もうこれ以上は抑えられん。まだか──!」
「焦るな、アンヘル……」
 コジマ地質学者は現状には相応しくない酷く緩慢とした口調で言う。隣に陣取っている女──ゼノビア特別文化顧問も同様の姿勢を崩さず、コジマの採掘作業を粛々と手伝っていた。
 頭上、遠くない高度から爆音が立て続けに響く。
 氷片と瓦礫片が降り注ぐ空洞を見上げると、至近高度まで降下してきていた敵性部隊が制圧射撃をばらまき始めていた。氷片と瓦礫片の落下衝突によって迎撃態勢を崩されつつある分隊が、その隙を突かれて敵性部隊からの反転攻撃を直撃していく。短い悲鳴がそこかしこから上がり、銃声に次ぐ銃声によって瞬く間にそれらがかき消されていく。銃声と轟音だけが空間を満たす、応戦から一方的な殺戮へと現場は移行しつつあった。
 ついに敵性部隊の先行兵力が採掘施設へ着陸し、四脚形態を携えた対人型パルヴァライザーが複雑に交差する連絡通路を甲虫のようなおぞましい機動で迫りくる。そして一層、悲鳴と断末が周囲一帯を埋め尽くす。
 周囲より一際落ちくぼんだ剥き出しの試掘地層で作業に励む二人を見下ろすと、やっと試掘作業が終了したらしく立ち上がったコジマが抱えていた重装型シリンダーを、脇に立っていたノウラが背嚢に押し込んでいる。
 すぐ背後で起こった爆発の突風が背中を叩いたがそれに構わず、古びた急斜角の階段を上って来る二人を急かす。
「これでお前の労苦も報われたという訳だな、──エイジ?」
「それは早計じゃないか? これからだよ、ゼノビア女史──」
 階段を二段飛ばしで駆け上がって来たゼノビア女史が豹を思わせるしなやかな挙動で踊り場に飛び出し、肩にかけていたスリングを器用に振りまわして、ブルバップ式小銃を構えた。そして間髪入れず防御陣形に加わる。
「どうやら元レイヴンという噂は本当らしいな、ノウラ女史」
「現、だよ。尤も副業という点においては正しいかもしれんがな」
 窮地といって差し支えのない状況であるにも関わらず、ゼノビア女史は扱い慣れた得物の引き金を、余裕すら感じさせる笑みを口許に浮かべながら絞り続ける。
 その彼女の佇まいは、先ほどまで【テラ・ブースト】に魅せられていた一人の学者ではなく、完結した一人の兵士としてのそれであった。
「軌道施設に離脱用の装甲列車が待機中だ。長くは持たん、急ぐぞ」
「──だ、そうだ。エイジ、急げ──!」
 何やら奇妙な独り言をぶつくさ言いながら階段を上ってきていたコジマだったが、彼が踊り場に達しようとした直前、どこからか放たれた砲弾が背後の断面地層を直撃した。濃緑色の鉱石の破片が混じった粉塵が爆風と共に吹き荒び、それに愕然としたコジマが背後を振り返る。
「テラ・ブーストが──」
「急げ、エイジ!」
 ゼノビア女史が応対射撃を取りつつ、背後の階段でコジマ氏が愕然としている様子を既に察しているのだろう、彼に発破をかけた。
「奴ら、此処を丸ごと破壊するつもりなのか……?」
「私達の排除が最優先目標だろう。施設機能さえ維持できれば、奴らにとってそこの地層なんぞ塵ほどの価値もないという事だ。さあ、早く上って──」
 ゼノビアがそう言い切るのを待たずに、再び砲弾の弾幕が吹き荒び、再度起こった爆風が踊り場に達しようとしていたコジマ氏の華奢な体を階段からもぎ取っていった。
 それと同時、前方至近距離の連絡通路に頭上から一機の対人型パルヴァライザーが強着陸してきた。踊り場を挟んだ隣にいたゼノビア女史が即座に反応し、アンダーバレルの銃口をパルヴァライザーの頭部に向けて引き金を絞った。至近距離から放たれた40ミリ通常榴弾が過たず頭部に直撃し、赤々しい爆炎がパルヴァライザーを中心に巻き起こる。それで仕留め切れたとは思っていないのだろう、ゼノビア女史はアンダーバレルから空薬莢を排出し、次の榴弾を押し込む。その傍ら、
「今のうちにエイジを、アンヘル!」
 その鋭い言葉に態勢を立て直し、いまだ黒煙が立ち上る眼下の試掘地層を覗き込む。粉塵が蔓延するその場所にいたコジマを見咎め──私は一瞬出すべき言葉を失った。
 ──彼は、エイジロウ・コジマは生きていた。
 しかし、彼は自分以外の誰がどう見たとしても、致命的な損傷を身体に負っていた──
 爆風によって身体を弾き飛ばされた所に、頭上から降り注いだテラ・ブーストの鉱石が直撃したらしく、彼の右脚は膝から下が無残と言いようがない程に粉砕されていた。
 保護服の外部装甲は無残にひしゃげ、頭部前面をカバーしていたバイザーも既に飛び散っている。
 意識は失われていないようだが、既にコジマの視線はあらぬ方向を向いているようであった。
「博士──! 立てるか、手を伸ばせ──!」
 予測できていながら受け入れる用意のできていなかったその突然の事態に、私は構えていた小銃のスリングを肩に回し、破壊された階段の踊り場から身を乗り出していた。
 私のその声が届いたらしく、後頭部を地につけてぐったりしていたコジマが頭を起こした。ゆらゆらしていた視線が焦点を結び、こちらを見上げる。ゼノビア女史が発射したらしい榴弾の炸裂音が響き、彼女が何事かを叫んでいるのが耳に入って来る。
「立て、博士! 此処で死ぬつもりなのかっ」
 そこでようやく、彼は口許に歪み切った笑みを浮かべ、蒼白だった顔に感情を取り戻した。そして同時に彼の表情が苦悶に歪み、口からどす黒い血が吹き出す。
「粒子汚染──、博士……!」
 叩き割られたバイザーから流入した高濃度の有害粒子が、博士の体内に入り込み瞬く間に各種器官機能を破壊したのだ。致命的な粒子汚染が身体にどういう影響を及ぼすか、知らない訳ではなかった。ただ、その有様を目の当たりにして私は、その事実を畏れた。
 しかし、伸ばした手を戻すことが、それ以上に恐ろしかった。
 激しく痙攣する身体を抑え込み、博士は首元に提げていた紡錘形のロケットの鎖を千切ると、同じく痙攣する腕を辛うじて振るい、投げてよこした。緩やかな放物線を描いて飛んできたそれを受け取る。
 それは、肉親と呼べる家族を一切持っていなかった彼が肌身離さず付けていたものだった。透明の保護機構に守られ、中心で小さいが強い意志のようなものを孕んだそれは白緑色の淡い光を放っている。
 彼が探し求め続けてきた遺産──テラ・ブーストの原石片だった。
 投げ渡されたそれに思わず注視していた私に、眼下で横たわっていた彼が喀血に構わず口を開いた。
「私の生きた生涯にも……、これで意義が遺った。最早、高望みはすまいよ……」
 逃れ得ぬ未来を受け入れたが故に彼が吐いたその言葉を聞き、何を言い出すかも考えずに応答しようとした瞬間、連絡通路を渡って来る敵性勢力を一人で足止めしていたゼノビア女史が、鋭い口調で言葉を発した。
「エイジ、貴様──。此処で諦め、一人朽ち逝くつもりか?」
「……無茶を、言うなよ。相応の心残りはあるさ。──だがな、誰にでも潮時はあるものだろう。消えぬ意義が残せただけでも、私達はそれを誇るべきじゃあ、ないのか……?」
 異様に慣れた手つきで弾倉を換装しつつ、ほぼ間断なくゼノビア女史はまるでひとつの精密機械であるかのように淡々と防御戦闘を繰り返し続ける。時間にして数秒足らずだったが、その空白の後、
「──ならば、好きにするがいい。私は、お前の遺した功績を讃えよう。お前の生涯は、ひとつの礎となる。それを、私が代わりに見届けてやる」
「気が、利くなあ。意外だったよ……」
 最早博士の言葉に意気はなく、それが彼の終息が間もなくである事を雄弁に物語っていた。
「アンヘル……。君には色々と世話になった、礼を言うよ。道連れになる必要はない。早く行ってくれ……」
「しかし──!」
「君の生涯は、此れからだ。君が抱く夢想の極点はまだ、此れからじゃあ、ないか……。彼女と共に本社へ戻り、役目を果たすんだ……」
 それぞれの末路は、やはり各々が最もよくわかっている。ただ、どれだけ容易く容認できるかどうかが、各々の生きる道の選択肢の数に直結するのだ。私には、まだ、諦める事ができないでいる。
 私は伸ばしていた手を戻し、踊り場にすっと立ち上がった。
「──私も、貴方の礎を見届けます」
「幸運を、アンヘル……。君の夢想は、君の為だけに在る」
 彼が地球の果ての地の底で朽ち果てる瞬間を、私は見届ける事はしなかった。踵を返し、爆炎に包まれつつある最下層施設を一瞥する。既に部隊の大半は命を落とし、僅かに生き残った数人の部下が軌道施設への後退路を辛うじて確保している様子だった。
 足元に無数の空薬莢を散乱させ、一切の呼吸も乱れさせていなかったゼノビアが突破口を見つけ出し、私を呼ぶ。
「帰還するぞ、付いてこい」
 洗練された彼女の後に続き、火線が飛び交う戦場の中を確保された後退路を使って走っていった。
 軌道施設までの後退路に在った隔壁設備が起動し、装甲列車に向かって後退する部隊を追うように連絡通路を塞いでいく。くぐもった爆音が隔壁の向こう側に取り残され、次第にその音も何枚もの分厚い隔壁に阻まれて聞こえなくなった。
 軌道施設に発車準備を完結して待機していた装甲列車に部下達が全員乗り込んだところで、ようやく来た道を振り返る。タラップに足をかけていたゼノビアが、
「──どれ程掛かるかは、分からん。だが、財団は必ず此の施設を奪還するだろう。──その時にでも、拾ってやれ」
 自らの私的な感情を押し殺した口調で彼女は言い、タラップを渡り切って装甲列車の中へと姿を消した。
 唇を引き結び、私は何も言おうとすまいと務めた。ゆるい冷風が足元の冷気をかきまぜていく。
 氷床に埋もれたこの地の果てを目に焼きつけ、私は其処を去った。

 第24次南極大陸資源調査隊は、地下数千メートルの試掘地層において旧世代の記録文献に記載されていた新資源である【テラ・ブースト】の原石を発見。しかし、直後の旧世代兵器群の侵行によって致命的な人的損耗を被る。僅かな生存者達によって【テラ・ブースト】は統一政府主導の下発足した帰属組織・ジシス財団に持ち帰られ、以降同資源は財団が推進していた次世代兵器開発要綱に組み込まれた。
 致命的内紛によってジシス財団が組織的解体を迎えるまでの数年の中で、旧世代において便宜的に【テラ・ブースト】と呼称されていた粒子体は、その名称を発見者に準えて【コジマ粒子】と変えられた。
 存在提唱者と同時に第一発見者となった故人【エイジロウ・コジマ】は、後に支配企業群が実現する軍事革命の第一人者として、その偉大な名を残すこととなった……
 そして、五年後──
                           *

 五年後──

 AM07:42──

 束の間の追憶に埋没していた意識を引き戻し、軽く閉じていた瞼を上げた。
 投射型ディスプレイに映る有視界の薄暗い暗緑色の景色は留まる事なく後方へ飛び去り、車道両脇と天井付近を伸びる警戒灯が地下トンネル内をうっすらと照らし出している。速度計を注視すると、搭乗中の機体速度は第三種広域巡航態勢において出力可能な時速450キロを固定維持していた。
 緩めていた操縦把を握る両手に力を込め直し、有視界前方を肉眼で捉える。機体制御機構の根幹である統合制御体に意識を傾けた時、複座後部座席で配置についていた"彼女"が言葉を投げかけてきた。
「どう致しました、アンヘル様──」
「──構うな」
 偽りはないだろうその心配りの言葉に対して、突き放す意図を孕めた鋭利な返答をよこす。しかし、彼女は委縮する素振りすらなく、ただ淡々と予定されたプログラムを実行するかのように、平淡な口調を維持して言葉を紡いだ。
「申し訳ありません。しかし、私の義務ですので」
 後部座席の彼女を介して統合制御体に語りかけ、視覚野に直接情報画像を出力するインナー・ディスプレイ・システムに現巡航領域の主要情報群を出力し、最後に彼女自身の姿をディスプレイの隅に表記した。
 ヘルメットの隙間から垂れる白銀の長髪が新雪よりもはるかに透明感のある白皙の肌を包み込み、大よそ人の持つものとは思えぬそれを携えている彼女自身は、後部座席にその小さな身体を座らせている。バイザー部分の下で引き結ばれた唇は、彼女自身が口を開く時以外に一切動くこと無く、その佇まいのみを見るのであれば、彼女は芸術品として精緻を極めた造形人形のようであった。
 同乗者である彼女もまた、自身や統合制御体と同様に機体制御機構の根幹を成す要素であり、端的に言えば彼女がいなければ、自身等は搭乗機であるこの機体すらまともに起動する事もできない。
 その事実を脳裏に走らせ、意識の中に発生した気にせねば何でもない程度の淀みをすぐに搔き消す。自身の意識状態の遷移は全て同調状態にあるはずだが、彼女は何ら意に介してすらいないようであった。
 有機生命体を基礎にしたとはいえ、所詮は備品に過ぎないという事か──
 そう胸中で揶揄した時、
「大切な御方だったのですね……」
 その静かな言葉は変わらず抑揚に欠けていたが、それは発せられた言葉以上に彼女自身が何らかの意図を湛えたもののように聞こえた。インナー・ディスプレイの両サイドに羅列表記されたデータから主要情報群をピックアップする傍ら、
「過分だな……」
 何をとは明言しなかったが、その返答に対して彼女は口を閉じた。先ほどと変わらず狼狽する様子などはない。しかし、此方の意識状態の遷移を常にトレースし、そして同調状態に在るのならば、自分がどういった意図を持ってその言葉を吐いたのかなどは、此方が口に出す前からわかっていた話だろう。
「──私にも、その様な方がおりましたので。申し訳ありませんでした」
 そう言った彼女の様子は以前と何らか変わるところはなかったように思えたが、それでも僅かな空気の変化を敏感に感じ取ることができた。
 かつて彼女にもそんな人間がいた──それは彼女の言う所の十年や二十年の話ではないだろう。一週間前にミラージュ社領アンディオン地域の地下核部で発掘されるよりも、遥か彼方の旧世代──断片的な記録文献でしか伝えられていない戦乱の世の時の事ではないだろうか。
 彼女が発掘されてから今夜までの一週間、互いの立ち位置はプロジェクト参画体としての以上の変化はなかった。しかし、彼女の出自を改めて思い出した今、自分は俄かに湧き出していたその感情を押し殺すことができないでいた。彼女もそれを既に察知しているだろう。
 ひとつため息をつき、
「何を憶えている? 過去はどんな世だった……」
 その純粋以外の何物でもない問いかけに後部座席に座る少女の姿を模した彼女は、わずかに小首を傾げてみせた。
「何ら変わりはありません。ただあの頃、あなた方はその存続をすら脅かされていました。自らが生み出した惨禍によって……」
 彼女はそれのみを言葉にし、あえて意図したかのようにそれ以上の多くを語ろうとはしなかった。その奇妙な、といっては矛盾が発生してしまうが、極めて人間らしい振る舞いにどうしても違和感を憶えてしまう。
 兵器開発部の技術者共が提供してきた報告資料と、随分話が違うじゃないか──
 "彼女達"──有機体戦略支援機構に関する記述が施された報告資料によれば、“彼女達”は我々人間という生命体をベースにしただけの被造物であり、その側面に関してそれ以上の事実はないはずだった。
 彼女達が言葉を円滑に扱い、人間の精緻な感情の揺れ動きを理解するのは、その残滓が残り続けているからに過ぎないのだと。
 後部座席で自分の支援任務に就く彼女は、残滓に過ぎないといって切り捨ててしまうにはあまりに人間じみているのである。動揺はない。しかし、自身の感情の揺れを敏感に感じ取った彼女はバイザー越しに此方の様子を窺うような視線を投げかけてきた。
 今は其れについて思案すべきではない。自分が生み出した類の種とはいえ、これ以上の思考は現状において無意味以外の何物でもないのだから。
 ただ、その出自とは裏腹な側面を垣間見せた彼女へのささやかな報酬として、自身は一つの答えを返すことにした。私は不器用だ。その程度しか、他者との関わりを持つことができないのだ。
「──彼は、私の"友"だった。地の果てで望みをすら失いかけていた我々皆のな……」
「友、ですか──」
「ああ。お前は違ったか?」
 その切り返しに彼女は一時顎を引き、それから面を上げて口許に薄い笑みを浮かべた。
「いいえ。──ありがとうございました」
 彼女のその感謝の言葉が何を意味していたのかについて口を閉ざし、私は一つの役割を終えた事に安堵した。そして即座に意識を切り替え、有視界の光景を出力し続けるメインディスプレイとインナー・ディスプレイを注視する。それに感応した"彼女"もまた変わらぬ表情を切り替えた。
 インナー・ディスプレイに環境観測システムからの詳細情報が流入し、それらの幾つかを彼女が転送してきた他情報と併せてピックアップしていく。
「閉鎖型防衛都市【エデンⅣ】への領土境界線進入を確認」
 彼女のその言葉通り、メインディスプレイのサイドスペースに表記されたルートマップ上の自機反応は既に境界線を越境していた。それとほぼ同時に第一種広域警戒態勢で展開していたレーダーが未確認反応を捕捉し、カメラアイの望遠倍率を跳ね上げて地下トンネル前方に展開する機影を捕捉した。
「前方約4500メートルに未確認勢力の展開を確認。前後推移から、同都市の防衛兵力ではあり得ません」
 彼女のその的確なオペレートを耳に入れつつ、有視界に拡大捕捉したその機影群を見咎め、口許に軽い笑みを浮かべた。
「哨戒部隊か……。統一政府も、この廃棄軍事ラインを使用したらしいな」
 有視界に捕捉した複数の機影を記録照会し、間もなくしてインナー・ディスプレイにその情報群が転送されてきた。機影は一般に広く普及しているAC兵器群に見られるものだが、その機体構成自体は見慣れないものである。所属等を示す隊章などはないが、インナー・ディスプレイに出力済みの情報群が示してもいる通り、既に身元は割れていた。
 現存の主権国家及び企業を便宜上統治する上位組織──統一連邦正規軍保有のAC部隊。
 支配企業群が市場に流通させているアーマードコアの規格とは異なり、独立したコア構想を採用して運用されているAC兵器である。支配企業群程に兵器規格自体の柔軟性はないものの、それらが持つ兵器としての性能が優秀であるという事は、方々でよく知られている。
 既に此方の接近機動に気づいているのだろう、有視界で目視できる二機とレーダー上で捕捉できる六機の計八機から成る未確認部隊が進路上で迎撃態勢を取った。
「──軌道衛星【リテレス】より規定報告。旧世代兵器群が【エデンⅣ】外郭防衛線を突破、都市内部へ侵入を開始しました」
「了解。ネクストコード:カルディナの機体制御態勢を第三種広域警戒態勢から第一種戦闘態勢へ移行。強襲機動を開始する。統合司令部とのデータリンクは、これを作戦終了まで遮断。──初の実戦としては申し分あるまい、アンヘラ?」
「貴方との出撃が叶い、光栄です──」
 世辞かどうか判別のつかない言葉を彼女──アンヘラと名付けられた有機体戦略支援機構は口許に淡い笑みを浮かべながら言う。
 機体搭乗者の判断意志を直接フィードバックし、それを機体各部へ解析伝達する支援機構であるAMS機構──アレゴリー・マニピュレイト・システム──の情報伝達速度も併行して第三種準備待機態勢から第一種戦闘態勢へ移行し、それと同時に膨大な情報量のデータ群が、頸部接続ジャックに繋がれた処理コードから大脳新皮質部を介して脳部へ流れ込んできた。
 その脳負荷により発生した鈍痛を伴う不快感に眉を潜めた。が、それもわずかな時間の事で、数秒後にはその負荷もほとんどが、どこかへと溶け込むように消えていった。インナーディスプレイのサイドスペースに出力しているアンヘラを、視界の隅に映す。
「AMS適性値安定化を確認。過剰負荷数値の24,65%を移転処理。情報伝達速度は第一種戦闘態勢を作戦終了まで継続維持可能です。──大丈夫ですか、アンヘル様」
「ああ、良好だ」
 わずかに脳部で燻っている負荷弊害は、気にせねば何でもない程度の頭痛程度である。
 これが、彼女が──アンヘラが自身と共に機体に搭乗している主因であった。
 有機体戦略支援機構、技術者共の言う所の生体CPUのみが成し得る、我々人智を超えた所業──。
 接敵距離が2,000メートルにまで縮まり、操縦把を改めて握り直す。
「此れより強襲移動を開始。前方敵性勢力を排除の後、都市地下核部への進入を実行する」
「了解しました──」
 その著しく抑揚の欠けた言葉に返って何故か安堵する。
 接続負荷の大部分が軽減されたAMS機構を介して統合制御体に軽く語りかけ、搭乗機体・カルディナの機体姿勢を強襲体勢へ移行させた。新規搭載機能である瞬間加速機構、通称【クイック・ブースト】の動発を意思判断し、機体後背部内蔵のメインノズルから噴出した噴射炎が、強襲体勢に入っていたカルディナの機体を一気に押し出した。
 速度計は瞬間的に時速1,000キロ以上を叩き出し、周囲の景色が文字通り吹き飛ぶ。
 実戦は既に帰属企業のミラージュ社が保有する紛争地帯で幾度となくこなして来たが、今回は実戦として初の単機戦闘である。否応なく高揚する精神をひたすらに抑え込み、操縦把付随のトリガーに指をかけた。機体両腕部に其々携えている試作型突撃銃を前方に構え、更にメインブースタを強く吹かす。
 ──自身がレイヴンとして長く戦場に在り、乗りこなしてきたアーマードコアとはその制御機構が大きく異なる事から、当初はその機体制御に大きく戸惑った頃のことが脳裏をよぎり、軽く口許を歪めた。
 数年間に渡る長い搭乗訓練の中でようやく悟り得たのは、結局アーマードコア兵器の次世代モデルである【ネクスト兵器】も、搭乗者の意思判断を直接反映して起動するという点を含め、自身が操縦しているという事実は変わらないという事であった。
 意思判断のみによって機体にそれが反映されはするものの、今しがた動発させたクイックブースト等は意思判断の仕方としては、従来のACに長らく乗り込んできた身体に染みついている【フットペダルを踏み込む】ようなイメージである。

→Next…

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