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*④*



 瞑った眼を開けると、白磁の大地が静かに、遠くさざなんでいた。
 その遠く、遠くを、見知った背中が歩いてゆく。
 追いかけた。自分の吐息が、白い世界に溶けて感じられなくなるまで。
 その人が、最後に囁いた。

 君の手を取って共に生きてくれる人々が、その世界にいる筈だよ──

 彼らと、同じ日々を歩いてみなさい。

 ──君が次に目覚めた時は、やさしい世界でありますように──

 アレから途方もない年月が経過したのだろう。水面に立つ波紋が緩やかに拡がるように、それまで半永久的な休止状態を維持していた意識が、閉ざされた白磁の世界から私の袖口を引っ張る。
 来たというのか──。
「あ──ん、う……」
 伸ばされた影が未練を残している。身体機能は未だ休止期間を必要とし、しかし、私は反抗するそれを強引に意識下へ隷属させた。統合意思が上手く機能しないが、それでも現状を把握する事は大体可能だった。
 意識状態の明確化と共に知覚機能群が復旧処置に入り、ひとつの存在を捕捉する。
 ──このさざなみ、あの兵器か?
 兵器と呼ぶにも幼すぎた鋼鉄の赤子、その体内から引き摺りだされた頃に感じた、彼の者の嘶き。
 内なる母胎として、私を必要とする未熟な鋼鉄の赤子──身体に染み付いた感覚は、決して嘘を言わない。
 しかし、こちらの知覚機能を捕捉していない鋼鉄の赤子は袖を弱々しく引くのみで、彼の者の名を知らぬ私にとって、それは対応すべきものでもない。
 永久にも等しかった休止期間で機能障害が発露していないかどうか、意識野のシステムスキャンを低速で進行させる傍ら、私は眼を瞑ったまま、鈍い疼痛が渦巻く前頭部に手の甲を当てた。
「──目が覚めたのか?」
 その声の持ち主について、復旧した知覚機能群が真っ先に気配を捉えていた為、私はさしたる驚きを示さなかった。薄く瞼を持ち上げ、臥せた姿勢の私を覗き込む少年と視線が重なり合った。
 この顔は、知っている──
 極めて朧で記憶すら定かでないが、何処かあどけなさを残す顔つきのこの男に、見覚えがあった。
 徐々に晴れ始めた視界には、清潔感に包まれた天井が広がっている。馴染み深い消毒液の芳香が鼻腔をつき、一瞬だけ暗澹とした感情が胸中に染み渡った。しかし、右側で中ほど空いた窓から流れて来た緩やかな外気を肌に受け、その暖かさを初めて感じた。
 その風は清涼としていて、気持ちのいいものだった。
 この男が、私を此処へ連れてきたのだろう──。
 実時間にして一瞬だったが、強制的な復旧処置によって統合意識は確かに、この男の背中を捉えていた。
 あれはいつの事だったのだろう──気になって初めて、知覚機能群が定める標準時刻が初期化されている事に気づいた。視覚野の中、極彩色を纏う可視映像群は全て滅茶苦茶な情報を表示しており、一切の意味を成していない。
 寝覚めとしては、最悪という事だ。状況としても、そうである事に申し分ないが──。
「ええ、随分と長い夢を見ていたような気がする──」
 強い倦怠感が蔓延する身体を起こすだけで、相当の労力を要した。長期間休止状態にあった身体機能は著しく低下しているようだった。復旧処置が進行中とはいえ、鉛のように固まった身体を自在にうごかせるようには、暫くかかるだろう。
上体を起こす動作だけで息が切れ、男が気遣う様子を見せたが、私は手を小さく上げてそれを遮った。
「そうか、無理するなよ。俺はマイ、マイ・アーヴァンク。ここはコロニーの病院だから安心していい、お前は?」
 澱みのない声で、少年は名乗る。溌剌とした口調に相応しく、その容貌は端正である。切れ長の双眸はその者の意志の強さを反映したように鋭い。
 自らの個別名称としてマイを名乗った男が、逆に自分の名を求めてきた事に、少なくない驚きを覚えた。
 まるで等価交換として当たり前であるかのような振る舞いに、どうしようもない戸惑いを感じる。
 個別名称を呼ばれる事はあれど、それを聞かれる、ましてや自ら能動的に名乗るような機会が、与えられた事はなかった。
 名乗り方を知らない訳ではない。だが、自分には彼が望むようなラベルが貼られていない事を、承知していた。どうやっても避けられないし、避ける必要もない、この先に感じるであろう奇異の眼差しを予想した。
「──名前?……好きに呼んでいいわよ。名前なんて、私にはないもの。でも、そうね──あえて言うなら、私のが呼ばれていた名前は、【No.00】……」
 思っていた程の反応の大きさはなかったものの、それでも若干の驚愕を孕んだ視線を感じた。
 当たり前だ。マイという名の男が知るはずもないが、そもそも自分は──。
「──【No.00】……。へえ、何か、味気ない名前だな。お前、旧世代兵器か何かの実験に付き合ってたのか?」
 その純朴な問いに、何故か安堵する自分がいた。名前ではなく、そういったものを問われる事だけが他者との話と呼べる意思疎通の大半を占めていたからかもしれない。
 自分とて彼の素性を知る由もないし、今の問いに関しては恐らく単純な好奇心からきているものだろうと思う。
 応える義理はないが、それ以上に応えない必要性もなかった。
「そうね、何の事かよく分からないけれど、大差はないかもね。──それで? 私を何の為に起こしたの? アレを完成させる為? さっき起動情報を捕まえたけれど」
 そう言い、該当する方角を指差す。
 休止状態の私を、正規の処理規定を辿らずに再起動させる術は限られている。
 先ほど、私の統合意識に語りかけてきた、〝鋼鉄の赤子〟──。
 見た印象、マイという男にはそれほどの害悪は感じない。それどころか、これまで自分を取り巻いてきた者達とは随分と違う印象を受けていた。しかし、それが無関係という事には何も直結しない。
 事実として、私は赤子の嘶きによって引き摺り起こされたようなものなのだ。
 私が機能復旧したその場に、それがあったというのなら、その前後が如何なる状況であったとしても、私が知るべき事実は最早、過去と変わらない。
 ──私はまた、死に損ねた。
 改めて思い出すと、どうでもよくなった。
「あー、いや、と」
「連れていって。近いんでしょ?」
「いや、そんな事ないけど」
「勿体ぶらないで。私が必要なんでしょ」
「だから、あのな──」
「気遣いは不要よ。早くしてよ、どうせ私は──」
 どうせ私は、また死に損ねただけの、ただの素材に過ぎないのだから。
 そんな当たり前の、分かりきった事を口にするのも億劫だった。尻すぼみに口をつぐみ、暫く続いた沈黙の後に、妙な気配を察知して男の方を振り返った。
 なんというか、見た事のない表情が、そこにあった。
「えーとな、落ち着こう、な? 何処かに連れていこうなんてないし、何かの実験に付き合わせようなんて思っちゃいないよ。俺はただ、お前を遺跡で偶然見つけただけなんだ。──ただ、お前の助けになればと思って、連れて来ただけさ」
 己の知覚機能群の程度を把握しているからこそ、その男が偽りない意図を伝えている事に、すぐ気づいた。
 全てを伝えてはいない、何処か肝心な意図を省いている面持ちではあるが、彼が誠実な態度を保っている事自体も理解できた。
 そして、予測の範疇を超えた二つの事柄に、自分は静かに驚愕していた。
「え──貴方、そんな理由で、本当に私を連れてきたの?」
 そんな理由とか言うなよ、俺だって命掛けだったんだぜとかなんとか呟いた後、後頭部をがしがしと掻きながら少年は言葉を紡ぐ。
「ああ、そうだけど。何か不都合でもあったか?」
 天井の端から端まで一度視線を切り、額に指を当てる。これを言葉にするのは相当な状況的偽善なのかもしれないが、口に出さずにはいられなかった。
「不都合があるとしたら、それは貴方の方よ……。私はこれでも、危ない身の上なの。貴方のその軽率な行動ひとつで、色んな人々から狙われるかもしれないのよ?」
 久々とはいえ、他者に対して自分からこれほど話す機会は、恐らくなかったと思う。それほどまでに、目の前の男が、自分がこれまで目にしてきた人間という認識の範疇から逸脱していたのだ。
「ああ、覚悟なら出来ているよ。その辺は心配しなくていい」
 マイという男はまたしても、しれっとのたまう。
 生まれて初めて、あたまがくらりとした。
「そんなバカな事言う人は、初めて──」
 率直に言うと、彼は否定する様子もなく腕を組んで頷く。
「確かに、バカな事かもしれないな。けど、俺、元々は戦災孤児ってヤツでさ。困ってるヤツを見ると、放っておけないんだ」
「私が困ってるように見えた?」
「いーや。お前を気にかけてた奴は、大層心配してたよ。でも、【No.00】、今のお前は充分困惑してそうだけどな?」
 彼が口にした【戦災孤児】という語句を情報管轄野で検索に掛けたが、該当しなかった。情報管轄野には現在五〇兆項目超のデジタル情報が収納されているが、その何れにも引っかからなかった。だが、その原因についてはすぐに理解が及んだ。
 当然だ。私の普遍世界は、小さく区切られた片隅の部屋でしかなかったのだ。
「貴方に対してね──そんな事はいいわ。でも、貴方は受けた恩を、誰かに返したいのね?」
「かもな。でも、それはもう済んでる。俺がお前を助けたのは、俺自身の意志だ。俺がお前を助けたいと、そう思ったから、従っただけの話だ」
 正しく鮮烈、そう形容してもいい意思の溢れる双眸をまっすぐ向け、彼は一切の澱みなく言い切る。他者に拠るものでなく、自分の意志に根ざした行為を持って、そう在ったのだと。
 私が知る中には、そんな人は一人もいなかった。
 ──いや、その背中を見せてくれた人が、たったの一人だけ、いた。
「──迷惑だったかな?」
「いや、そんな事は……」
 何故だろう。そう問いただした。しかし、それに対して絶対的に整合性のある理由が見当たる訳はないと自覚していた。
 恐らくそう思うのは、自分にも人としての片鱗が残されているからだろう──。
 胸が熱く、そして顔が熱く仄かに染まってゆくのを感じる。
 薄く開いた口から言葉を出そうとして、何度か空振る。
 そうしてようやく、
「……ありがとう」
 こういう時に言うのは、こんな言葉で正しいのだろうか。
「どういたしまして、と」
 彼──マイはそういって微笑む。正面から見据えていなかったにせよ、私は彼に向けていた視線を僅かに上の方へと逸らした。
 まっすぐ見られない。初めて覚える感情だった。
 でも、嬉しい──。
「さて、やっぱり名前が【No.00】ってのは味気ないよなあ。名前要るだろ、やっぱり?」
 胸中に波立つ感情が収まり切らない内に、マイは次の提案を投げてよこした。
「え、と……名前、というのは、何か、そんなに重要なものなのか?」
 そう言うと、彼は大きく頷く。
「誰だって、自分の名前は好かれたいもんだろ?」
 名前自体がそもそも自己の本質を指す、そう言わんばかりの言葉だった。
 多少強引ではあるが、確かにそう思う事はある。
 いまいちその重要性と必要性を感じられなかったが、単純な好奇心で私は頷くことにした。
「そうね──面白そう」
「面白い、のかな? まあ、それはいいとして、そうだなあ──あ、イリヤってのはどうだ?」
「イリヤ──どういう意味だ?」
「いやあ、意味は知らないけど。俺のさ、婆ちゃんの名前なんだよ。俺が大事にしたいと願った人の名前だよ」
 婆ちゃん──祖母、遺伝学上の縁者という事か。
「イリヤ、か……うん、悪くない名前ね」
「オーケー。じゃあイリヤ、俺はリヴァルディに連絡を遣してくるよ。──あ、リヴァルディってのは、〝俺達〟のホームの事だから。後で皆に紹介するよ」
 そう言うと、マイは席を立って部屋を後にした。ドアを閉める際は不要な刺激を与えないよう配慮してか、静かに閉めていった。
「それにしても、随分と時間が過ぎたのね…・・・」
 驚きを覚えた事柄の片割れは、過ぎ去った永久のような時間だった。
 私が発見された時には、既に私の眠っていた施設は遺跡と呼ぶまでに成り果てていたらしい。
 彼の言葉を信じるのならば、だが。
 彼の口から訊くよりも早く真偽を確かめる手法を知っていた私は、室内から青々とした空を仰ぐ。
 機械的知覚機能群の一部に復旧処置を優先し、地球周回軌道に点在する環境観測衛星とのデータリンクを確立。
「標準時刻及び休止経過時間、地表環境情報を新規策定──」
 速やかに望む情報をアップロードした直後、それで漸く役目を終えたとでもいうのか、データリンクが衛星の方から一方的に断絶された。
「そう──そんなに経っていたの。御苦労様……」
 凡そこの大地に生きる人々にとって悠久と称するにも長すぎる時間が、私の周りを過ぎ去っていたらしい。
 周回軌道を孤独に巡り続けていた衛星ですら、老朽化によってその機能を停止してしまうほどの時間が。
 データ・リンクから獲得した必要情報群の中に、既に自分と似たような境遇の先達が環境観測衛星を使用した痕跡も発見した。私は、運が良かったのだろう。
「私のほかにも、まだいたのか──……」
 自分の体が横たえられていたベッド脇の窓を引き開き、緩やかな風を全身に受ける。
「気持ちいい風──」
 気持ちを切り替え、私は先程マイが与えてくれた名前に思考を巡らしてみた。
 イリヤ、か──その名前をつけられる事にさしたる意味は見出せない。
 けれど、つけられたばかりのその名前を呼ばれてみて、やはり私は、そう、慣れない感情が介在しているのを自覚していた。
 ただ、嬉しかった。
 過去に──私は死に損ねた。
 それを望んでいたし、今もそれを否定する事はできない。
 しかし、いま、この時だけは、その感情を受け入れてもいいだろう。
 そう思い直し、青々とした空を再び見渡した時だった。
 鋼鉄の赤子が再度発した嘶きを機械化知覚機能群が解析し、瞬く間にその詳細を可視映像として眼前に出力する。広域電子妨害措置と思しき伝播を押し退けて接触してきた嘶きは、先ほどより一層強く苦痛に満ちていた。
 対応レベルが更新され、身体機能に及んでいた復旧処置が全て脳機能野へと傾注される。
 この時代にも確かに、鋼鉄の赤子の遺伝子を受け継ぐモノが存在している──。そして、私と同じような者たちも……。
 先程よりも一層激しい様相で赤子は嘶きを発し、私の感覚野を掻き乱そうとする。
 体感時間を限りなく圧縮し、認識速度を倍加的に跳ね上げた。
「プロトコルが目茶目茶ね、仕様のない子──今、手伝ってあげるから」
 助けを求めるその嘶きに対し、今の私は何の外的制限も与えられていない。
 指示がなければ、私は〝起動〟できない訳ではない。
 私が与えられていた本懐は、鋼鉄の赤子の成長を、助けてあげる事だった──。
 ならば、その役目に従うしかない。それは自分にとっての、本能に近いものだった。
 圧縮時間の中、最大限に上げた対応速度で関連情報群を視覚野に出力、可視映像が眼前を埋め尽くす。
 既存のコード改変プログラムに該当、類似するシステムではない──。
「新規オペレーションコード作製──所要時間【00:02sec】、……作製、プログラム試行完了」
 微細なバグ修正を加えたプログラムの試行演算を秒間二〇五〇兆回以上で繰り返し、状況更新プログラムを完結させた。苦しそうな嘶きで訴え続ける鋼鉄の赤子に対して応える。
「大丈夫だから。今、楽にしてあげる──」
 特定周波数で結び上げた双方の知覚機能群を通じ、鋼鉄の赤子の成長を促すプログラムを打ち込んだ。
 しばらくして、感覚野を弾き回っていた嘶きが不意に収まる。
 私は安堵した。
「そう、いい子ね。よくやった、偉いわよ──」
 非常に充足した感覚。
 それが、私の役割だ。時代を経ても何も変わらない。
 知覚機能郡の接続体制を解消する前に、その間隙へ先ほどから潜伏介入していた遠隔意識に少し語りかけた。

 ──貴女は、だれ?

 しかし、その問いに対する返答はなかった。遠隔意識は潜伏介入を一方的に解消し、その存在を消去した。
 素性はわからなかった。ただ、〝姉妹〟のうちの誰かが、接触してきていたのだという事は、理解できたが。高い遠隔意識による潜伏介入から察するに、恐らくかなり後期型の〝姉妹〟だろう。
 多少残念ではあったが遠く会えぬ者に今、興味を巡らせる事もない。
 そして、私という存在をこの時代にて、真に求める者達の姿を見つけたのは直後の事だった。

                              *

 遠慮してマイが病院前に出たのと、シルヴィアが車輌をそこへ乗りつけたのはほぼ同時だった。
 大胆な運転で車輌を駐車スペースに滑り込ませ、停止もそこそこにシルヴィアが路上へ飛び降りる。
「マイ、隔壁を破ってACが進入してきた! こっちに向かってきてる!」
 そう言ったシルヴィアは、動揺を落ち着けられていない様子だった。
 私有地を挟んだ市街地の方面から平時とは明らかに違う喧騒が俄かに届き、その中に混じる怒号と悲鳴はマイにとって馴染みのあるものだった。
「落ち着け、シルヴィ。そのACってのは、どこの所属だった?」
 突然の事態にも取り乱さず冷静な対応に勤めるマイの表情を見て、シルヴィは幾らか落ち着きを取り戻す。彼女の気転の良さはマイも知る所であり、柔軟な姿勢に望む彼女を見て得心した。
「それが、ミラージュ本社の実行部隊みたいなんだっ──」
 AC兵器まで持ち出したミラージュ本社の実行部隊──それが、この総合病院へ一直線に向かいつつあると二つの事実に、マイはその意図する所へ瞬時に行き着いた。
(ミラージュは、イリヤを奪取しに来たのか──?)
 サンドゲイルの面々にはこの数日、イリヤの事については一切とは言わないまでも、その詳細については話していなかった。それは彼女を旧世代遺跡から拾ってきたと事実通りに説明するのは、その状況があまりに突飛であった事と、自らの口からそれを語るには役不足である気がした為であった。
 彼女が目覚めるのを待ち、改めて皆に理解を求めるつもりでいたのだ。
 その判断が今、全て裏目に出ようとしている──。
 数日前に関与した作戦時の記憶が、俄かにマイの脳裏を過ぎった。
 幾つかの記憶が接点として意図を成し、結合し合う。
 ミラージュ社が大々的に推進した領土奪回戦闘──旧世代兵器施設〝アスセナ〟制圧作戦の中で、ミラージュ社は彼女の確保を目的の一つとしていたのではないか。
 状況証拠は乏しく、そうと断言できる明確なものはない。しかし、マイには確信があった。
 最下層部の冷凍保管施設に収納されていたイリヤを連れて行くよう懇願した、施設管轄AI──。
 それは遥か悠久の過去に消え去った先達が遺した遺言のひとつだろうと思っていた。その解釈に従ってイリヤを連れ出した後、作戦担当の通信士は確かに、こう、マイへ問いかけていた。
 ──何か、確保されましたか、と。
 推測の域は出ない。しかしそう考えると、筋道はその道理として全て矛盾なく成立し得る。
 その域内での事実関係を知って尚、マイには一欠片の後悔もなかった。
 自らに課す誓約という名の覚悟とは、そういう意味であり、あらゆる代償を踏み越えねばならない。
 かつて自らにその生き方を身を持って示した大恩ある練達の戦士も、現在を尚そうして戦い続けている。
 マイは瞬時に判断し、元々取り出す予定で手に持っていたインカムを耳に装着した。反対側を人差し指で叩き、共有回線に繋ぐようシルヴィアにも指示する。
「旗艦、こちらマイ──聞こえるか」
 一拍の空白を挟み、応答用の接続ノイズがごく小さく耳を打つ。
『マイ、状況はどうなってる?』
 応答したのは管制室常駐のオペレータではなく、旗艦指揮を行っているシェルブだった。此方からの通信要請が入った時点で直接繋がせたのだろう。そして開口一番極力要約した言葉を発した事から、マイは既にあちらも〝現在の状況〟に遭遇したか、或いはそれに類似した状況に直面しているのを察した。
「隔壁から進入したミラージュ本社所属のACが、総合病院へ向かって来てます。ごろつきの輸送車襲撃は陽動作戦だったんですか?」
『分からん。だが、旧世代兵器群の襲撃を挟んでいる辺り、別の状況だろう』
 シェルブの応答の中に、自分が関知していなかったらしい事象が含まれていた事について、マイは即座に問い返した。
「旧世代兵器って、いつそんな事になってたんです?」
『電子妨害措置が都市域レベルで展開されていたらしい。どういう訳か、丁度繋がったのは幸運だったな』
 関知していなかった事態の詳細については後で把握する事にして、都市全域という範囲でECMが展開されていた為に連絡手段が断絶されていたというのなら、自分が知らなかったというのは納得できる。
 そして都市域レベルでそれを実行していたという事は、余程周到な準備工作をしていた──即ち、事前にコロニー内部へ工作人員が進入していた事を意味する。進入してきたというミラージュ本社の実行部隊の状況を鑑みるに、それとの関連性を考えるなという方が困難な話だ。
『リヴァルディは帰還済みだが、施設外部に制圧歩兵部隊、及びコロニー外部遠域に複数のAC反応がある。どうやら目的は俺達らしいぞ、マイ』
 シェルブが最後に自分の名を付加し、その意図する所にマイは苦もなく気づいた。
「敵性勢力の狙いは、彼女──イリヤだと思います」
『イリヤ──あの娘の名か? 目が覚めたのか?』
「はい。それと何故か、恐らく旗艦の方を指差していました」
 電子妨害措置が展開されている間に起きたらしい、旧世代兵器群とリヴァルディの戦闘、ミラージュ本社部隊の介入、イリヤの覚醒──状況が一箇所に集中し過ぎている。
 それらと、イリヤが意識を取り戻した事に何らかの関連性があるのでは、とマイは勘ぐっていた。
『そのイリヤとか言う娘を敵部隊が狙っているという予測、随分確信があるようだな?』
「──俺の口からは言えませんが、ほぼ確実です」
 確立状態にある回線からシェルブが一時期思案する気配が届いたような気がした。
『こちらは旗艦と施設の防衛で間もなく手一杯になる、そちらにまで手は回せん。目的が分かっているのなら、マイ──何としても、娘を護れ。──出来るな?』
 命令というには余りに抑揚の意思を孕んだ言葉で、提案というには余りにも冷徹な予兆を含んだ言葉だった。
 マイは知っていた。自らを拾い、兵士として教え育てた大恩ある戦士シェルブ・ハートネットという練達の事を。
 彼は決して詮索しない。
 彼は決して追求しない。
 彼は決して糾弾しない。
 自らの意志と覚悟をもって他を顧みない代償を呑み、コトを成そうというのなら、何を捨て置いてもそれを全うしろ──彼はマイにそう教えたのだ。そしてそれが出来ないのなら、戦士としての恥辱を自らに塗り、看板を下ろして戦場を去れ、とも。
 マイは今、自らの資質を試されている──そう捉えた。
「了解しました。命に代えても、イリヤを護ります」
『シルヴィアも一緒にいるな? こちらからではアハトとは連絡がつかない。可能であれば合流して、旗艦へ戻れ。幸運を祈る──』
 通信体制は確立状態を維持したまま、旗艦との交信を終了した。
 シェルブの老猾、且つ冷徹な言葉にマイは密かに胸を早鳴らせた。しかし気を静かに保ち、通信を見守っていたシルヴィアをまっすぐ見下ろす。
「聞いただろうが、イリヤがさっき目覚めた。病室へ戻るぞ」
 シルヴィアが力強く頷いたとほぼ同時、何処かでガラスの割れる派手な音が響いた。速やかに音源を手繰り、後方左手の駐車ポートに面した病院四階の病室を見上げる。
 其処は自分が今しがた出てきた病室の場所であり、屋上から垂れ下がった降下用のロープが壁面を揺れていた。
「急いで戻るぞ、シルヴィア!」
 保護用カバーで覆ったヒップホルスターから自動拳銃を抜き出し、両手に携えると正面エントランスから院内へ駆け込んだ。時間帯も相まってかエントランスの人影はまばらで、しかし、噂を聞きつけたかした関係者がざわめきを立てる中を一気に駆けていく。その中で、傍目には凶器しか映らない得物を握るマイとシルヴィアの姿を見咎めた来院者が短い悲鳴を上げるなどして、潮のように通路を明け渡す。
 マイはエレベータを待たず、通常階段から四階まで数段飛ばしで上がると、人気のない左手の通路の先──イリヤが収容されている病室の中から、何者かの話し声が聞こえる。それが何かは聞き取れなかったが、マイはその間に姿勢を下げて廊下を渡りきり、引き戸に遮られた病室前の壁に密着する。
 対面に回り込んだシルヴィアへハンドシグナルで指示を送り、彼女が頷く。そして彼女が引き戸開き、マイは逡巡なく室内へ飛び込んだ。
「動くな──」
 そう、冷徹に宣告する。
 最も手近な闖入者へ向けて言い放つつもりだった制止の言葉を、マイのこめかみに銃口を突きつけた覆面の兵士が抑揚に著しく欠けた口調で言う。
 やられた。こいつ等、手練だ──。
 マイは大人しく指示に従った。後方に続いて隣から進入を図ったシルヴィアも同様に、得物を足元に落とし、両手を緩く掲げる。
「伊達に、本社の実行部隊を名乗っちゃいないって訳か──?」
 自らに自動小銃の銃口を向ける兵士に向けて言ったが、そいつは何ら意に介してもいないようで、冷え切った視線だけを此方に向ける。
「この期に及んで、手を出そうなどとは思わないことだ」
 室内には目視でき得る限りで、五人の大柄な闖入者がいる。何れもミラージュ本社正規軍の兵服に身を包み、同社陸軍の特殊部隊所属である事を示す肩章が目を引く。
 その兵士達に囲まれる中に、よろめきつつベッドから立ち上がるイリヤがいた。
 マイは眉間に皺を寄せ、普段はそれほど変える事のない表情を厳しくした。
 やがて、地鳴りのように轟く足音が病院外から近づき、一機の鋼鉄の巨人──ミラージュ社の肩章を煌かせたACの頭部が砕け散った窓の外に現れる。薄い橙色の反応光を放つカメラアイを前に、ようやく立ち上がったイリヤが此方を振り返った。
「──言ったでしょう? これでいいのよ、私は。それに、此れで貴方達が狙われる事もない」
 せめてもの気遣いか、諦観というには余りに達観し過ぎた、マイにとっては理解の範疇を超えた表情を浮かべてイリヤは淡々と言う。
 しかし、彼女が伝えたその言葉は額面通りに受けるだけで用意に理解できた。
 マイは冷静に勤めた。
「お前はいいのか、本当にそれで?」
 彼女は小さく俯き、首を振る。その振る舞いは澱みなくマイの視界に映る中で行われた。
 彼女自身、その経験を何度も経て来たかのように。
「でも、そうね──嬉しかったわ。私に優しくしてくれて。名前まで貰った……ありがとう」
 彼女の表情は一貫して変わらない。しかし、不慣れな言葉を扱う時には誰しも特徴がでるものだ。それを彼女の顔に感じた。
 イリヤは何も言わずに背を向け、華奢な身体を兵士に預けた。窓の外のACは背部を向けて待機し、積み込まれていた収納用コンテナの中に彼女は姿を消した。現場指揮官と思しき兵士からの指示を受けるとACが待機姿勢を解除、通常歩行で病院から離れていく。
「出ろ、下がれ──」
 銃口を突き付けられたままマイは指示に従い、廊下にまで歩を下げた。
 有無を言わさず此処で撃ち殺して終わりにするつもりだ。当事者にとっての不都合は徹底的に隠滅する──それは常套手段でありすぎるが故に、軽い吐き気を催す。
 マイは不屈の意思を双眸に湛え、距離を保って眉間に狙いを定めた銃口から銃火が溢れるまで、抵抗を貫くつもりでいた。シルヴィアの様子は分からない。視線を僅かにでも切るという事は、それだけ此方の意図を伝えてしまうことに他ならなかった。
 眼前に立つ処刑人がトリガーにかける指先に力が入る──その瞬間だった。
『避けろ──』
 間断なく、マイは身体を横合いへ弾いた。
 重く轟いた銃声が鼓膜を打ち、眼前の兵士の頭部が石榴のように弾け飛んだ。血液と脳漿が一帯に飛散し、指揮系統を失った身体が無意味に一度跳ね、前のめりに斃れ込む。
「シルヴィア、走れ!」
 マイは叫んだ。ほぼ同時に反対側へ逃れていたシルヴィアは、マイと死体を視界に入れる前に走り出す。
 よし、持ち直したな──。
 腹部にどすんと叩きつける銃声──その特徴からして恐らく大口径の自動小銃、対物ライフルかその系統に属したものだろう──が連続して轟き、室内の壁に大きな弾痕を穿つ。外部からの奇襲によって足止めを喰らった兵士達が壁際に伏せ、その間にマイは死体の傍に駆け寄った。ベルトに吊るされた武装類──手榴弾と閃光音響手榴弾を幾つか拝借し、一方的な制圧射撃が続く室内から窓の外を見やると、対面のビルの屋上に、一つの人影があった。
「間一髪、役所を待ってたな? アハト」
『さあな。ACは市街地を進行中だ、脱出して旗艦へ戻れ。その間、掩護する』
「了解、恩に着る──」
 逃がすな、という兵士の声が室内から響く。対面のビル内から制圧射撃を行うアハトに対して兵士達が応対射撃を行うのを遅延させるべく、マイは即座に閃光音響手榴弾を投げ込んだ。
 結果を待たずに走り出し、後方から耳を劈くような爆発音が響く。残響音と銃撃音が木霊する廊下を渡りきり、エントランスへ直結する階段脇で待機していたシルヴィアと合流した。
「今の、アハトさんかな?」
「ああ。まったく、おいしい所を持ってってくれる奴だ」
 屋上で待機していた兵員が気づいたのだろう、軍靴を高く鳴らしながら階段を下りてくる。
 先行してシルヴィアを階下に行かせ、後方を警戒しながら駆け下りる。切り替えしの踊り場に到ると同時に屋上から降りてきた敵部隊と接触、手に握った自動拳銃をフルオートでばら撒いた。
 軽い足止めから牽制用にグレネードを投げ込み、シルヴィアの後を負う。くぐもった爆音が、院内階段と通路の内壁に反響する。
 来院客や職員達が逃げ惑うエントランスを走り抜ける中、院関係者と対応協議の為に席を外していたアリーヌがマイを呼び止めた。
「何があったの、マイ!」
「ミラージュの部隊があの子を攫った。俺達も追われてる、先生は病院に紛れて遣り過ごしてください」
 要点のみを抽出して口早に伝えると、流石軍医として一線を張っているだけあり彼女は速やかに状況を把握、頷いた。
「わかったわ、気をつけるのよ?」
「ああ、先生も」
 視線を交わし、人ごみの中に紛れていくアリーヌを視界の隅に残して病院前へと走り出た。エントランス前の路上に無傷で停車してあったサンドゲイル謹製の車輌運転席へシルヴィアが乗り込み、マイは荷台から直接後部座席へ飛び乗った。
「出せ! 急いでリヴァルディに合流するぞ!」
「了解、しっかり掴まっててよ!」
 そう言うなり車輌が弾丸のように路上へ飛び出し、その急加速に何とか耐えつつマイは銃架の展開準備に入った。
「脱出に成功した。最短経路で繋留施設への合流を試みる!」
『了解。こちらも移動を開始する──』
 車内後半部に設置された銃架機構のコンソール端末を叩き、折りたたんで収納されていた車輌搭載用重機関銃の砲身が展開、車上銃架へ迅速に組み上がる。
 狭い車内を身を捩るように移動して銃架へ身体を押し上げ、グリップを握り込んで銃身を後方へと取り回す。
「繋留施設までの所要時間はどうだ、シルヴィア?」
「最短経路を検索に掛けたけど、最低でも一〇分は掛かる。その間、二人で何とか凌いで!」
「了解。優しいエスコートを頼むぜ、相棒」
 コロニー内に武装勢力が介入した事実は既に広く伝播しているようで、在留市民の過半は既に各地に設置されている地下避難施設へと駆け込んだ後のようだった。事実、路上には既にシルヴィアの駆る車輌以外に一般車の走る姿はない。市民も逃げ遅れと思しき人影を数十メートル間隔でまらばに見かけはするものの、歩道には殆どいない。
 平時からコロニーに篭もっているだけあって──しかも辺境もいい所の治安も差して良いとはいえない場所だ──危機察知にはかなり長けているらしい。
 もしもの可能性を考慮してマイはコンソールを叩き、銃架制御機構を更新する。武装状態による脅威度認識プログラムを火器管制機構に搭載し、各種索敵センサも同時起動──コンソールのひとつである小柄なディスプレイに【-System All Green-】の文字が表記される。
 迎撃準備を完結した直後、タイミングを良くしてインカムに無線連絡が入る。
『マイ、此方アハト──合流進路上に展開していた敵の撤退支援勢力を足止めした。間もなくお前達の後方に周り込むだろう。目の前から蜂の巣なんて事はないだろうが、しっかり狙えよ──?』
「オーケー。派手な花火を上げてやるよ」
 相変わらずやることの早いこと──アハトの素性について詳しく知ってはいなかったが、彼はどうやら身体の大部分に機能強化措置を享受していることをマイは把握していた。
 車輌などに頼らなくとも、建物から建物を自在に飛び移って先回りしていたのだろう。
 そしてアハトの予告通り、通り過ぎた後方十字路の両端から追撃用の攻撃車輌が計四台、猛然と滑り込んできた。
「シルヴィア、速度を上げろ! 逃げ切るぞ!」
 風の走る音に紛れて返答が聞こえ、マイの要求に応えた車輌がギアを上げて一段階、速度を上げる。
 搭載銃架の射撃管制システムが後方より迫り来る攻撃車輌を捕捉し、解析情報を瞬く間にディスプレイへ出力する。
『捕捉対象、KUM社製汎用攻撃車輌HMGW──搭載武装、五,五六ミリ軽機関銃。対弾装甲防御能力なし、装填弾種での制圧攻撃、可能です──』
敵対勢力からの反撃を食らう可能性などは一切考慮せず、人員輸送と目標の速やかな達成を念頭に、車両状態を大幅に改変したのだろう。
 マイは迷いなく、射撃管制システムが捕捉した手近な目標に向けて発砲した。
 秒間十発以上の速度で吐き出される通常徹甲弾が弾幕を張り、目標のフロントタイヤを外装ごと容易に撃ち貫く。走行バランスを崩した目標が斜めから横転して後続の車輌を巻き込んだ。
「よし、行けるぞ──」
 積載していた爆薬系統にでも多大な衝撃が加わったのか、二台の車輌が不意に爆発し黒煙と共に大きな火球を作り上げた。
 繋留施設への合流は程なく近い──マイは、グリップトリガーを握る力を強めた。
「必ず行くからな、イリヤ……!」
 彼女は一言も言わなかった。助けて、とすら。
 だが、僅か十分足らずでしかなかった自分との関わりの中で、心の底から来る感謝の言葉を述べる交感を得ていた。でなければ、あの局面で
誰が口に出来るものか。
 ありがとう、と──。
 それが、どんな心を押し潰して出されたものか、マイは分かっていた。
 そしてそれが、助けを請う、どの言葉よりも重いかも。

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