Intermission -operation bitter and sweet-*②*



 ―Main story―

 2月13日、早朝。エイミの部屋の簡易キッチンには先日買い揃えてきた調理道具と材料が所狭しと並べられていた。
 あの後、二人は寄港しているコロニーへ人目を盗んで買い出しに行き、早速試しに手作りチョコレートを作ってみたのだが、結果は玉砕と言わざるを得なかった。
シルヴィは元々お菓子など作った事が無く、料理もほとんど覚えていない。そのため、わざわざ手作りするより既製品を買って食べた方がマシという散々な出来だった。
エイミも料理はできるが、お菓子作りとなると勝手が違う部分もあり、シルヴィほどではないにしろ、人に送るのは躊躇われる出来だった。
 その後もう一度トライしたものの、シルヴィは相変わらずの出来栄えで、エイミは最初よりも随分マシなものになったが、まだまだ本人の納得のいく出来とは言えなかった。
 今回が三度目、そしてラストチャンスである。シルヴィとエイミはエプロンを着け、真剣な眼差しでキッチンに向かっていた。
「三度目の正直ね」
「なんですかそれ?」
「私の国の格言よ。もう失敗は許されないわ。シルヴィちゃん、今日で決めるわよ」
「はいっ!」
 お互いに顔を見合わせて頷き合う二人。まるでこれから決闘に行くかのような意気込みだ。彼女たちにとってみれば、それほど真剣ということだろう。それはエイミの部屋のドアに貼ってある手書きの紙からも伝わってくる。
『本日、私の許可なく入室禁止!!(特に男子!) もしこの規則を破った場合、クリップボードの角で頭を殴ります(本気です)』
 ちなみに余談だが、この貼り紙を見た男性クルーはその文面から発せられる凄みに戦慄したという。女性クルーはというと、明日に起こるだろうリヴァルディでも珍しい一大イベントに顔をほころばせていた。
「シルヴィちゃん。前回と前々回の失敗はやっぱりテンパリングが上手くいってないのが原因だと思うの」
「やっぱりそこですよね。っていうより、そこ以外、失敗する所がない……」
 自分の不器用さに気持ちが沈んでしまうシルヴィ。
 テンパリングとは温度調整によってチョコレートに含まれるココアバターの結晶を安定させる作業の事で、手作りチョコレートを作る上でとても重要な工程である。この作業をうまく行う事で、光沢が美しく、なめらかな口どけのチョコレートになるのだ。
「大丈夫よ、原因は分かってるんだから、そこを集中してやればいいのよ! テンパリングで重要なのは温度管理らしいわ。私も手伝うから、慎重にやりましょう」
 二人がこれまで失敗してきたのには、もう一つ原因がある。それは二人で同時にそれぞれのチョコレートの製作に着手してしまったことだ。二人とも初心者であるため、当然余裕はなく、互いにアドバイスや手伝うことも出来ぬまま玉砕に至った訳である。
「まずはチョコレートを均等に細かく刻みましょ。これもコツの一つらしいわ」
 エイミは料理本やネットのレシピを首っ引きで研究し、最終的にはお菓子作りが得意な友人に電話までするほど熱が入っていた。
 シルヴィは、まな板の上で材料用の板チョコを包丁で丁寧に刻んでゆく。二度の失敗を経験し、この程度の作業は難なくこなせるようになっていた。
「よし、できた」
 均等に細かく刻まれたチョコレートを見て、シルヴィは自分の技量の向上に少し嬉しくなる。
「さあ、ここからが本番よ。まずは湯せんね」
 シルヴィがチョコを刻んでいる間、エイミは52℃前後に保ったお湯を用意していた。大きなボウルから湯気がほこほこと立ち上る。
「温度はバッチリよ。冷めないうちに溶かしちゃいましょ」
 一回り小さいボウルに刻んだチョコを入れ、お湯が入ったボウルに浸ける。しばらくすると、ボウルがほんのりと温まり始め、それに反応するようにチョコが溶け始める。
「よぉーし、慌てずにゆっくり……」
 ヘラを使って伸ばすようにかき混ぜて溶かしてゆく。事前に細かく刻んでおいたため、ダマにならずチョコは滑らかに液化していった。
「エイミさん、温度確認お願いします」
「オッケー、任せて」
 エイミが温度計を液化したチョコレートに突っ込むと、40℃程度を示していた。
「丁度いい具合ね。じゃあ今度は冷やしましょ」
 続いて13℃程度にしておいた水の入ったボウルにチョコが入ったボウルを移し替え、かき混ぜつつチョコレートの温度を下げてゆく。
「そろそろいいかしら」
 エイミが再び温度を計ると、31℃を示していた。
「オッケー、バッチリ。じゃあココアパウダー入れるわね」
「はいっ、お願いします」
 ボウルを水から外し、ココアパウダーを加えていく。シルヴィはすかさず撹拌を再開する。後はココアの粉気がなくなるまで混ぜていくだけだ。
 集中してかき混ぜていくシルヴィ。ここで失敗したら今までの努力が水の泡だ。そう思うと自然、ヘラを握る手にも力が入る。
 ココアパウダーが完全に混ぜ合い、粘り気を増してきたチョコレートを引き続き丁寧に根気よく混ぜていく。ここまでくれば、後少しだ。そう思いつつ、シルヴィは手を休めることなく懸命に混ぜていく。
 そんなシルヴィの姿をエイミは暖かい目で見守る。この肝心の作業を手伝ってしまったのでは意味がない。それはシルヴィも望まないだろう。一人で思いを込めながら作る事にこそ手作りチョコレートの意味があるのだから。
 シルヴィの額には薄っすらと汗が滲んでいた。テンパリングが上手くいくように部屋の温度も25℃に調整してあり、冬場とはいえ少し暑いくらいだ。それでも弱音一つ吐かずに一心不乱に作業をするシルヴィ。
 ――まったく、マイ君もとんだ幸せ者ね。
 そう思いつつ、エイミはシルヴィを微笑みながら見守り続けた。
「できたっ!」
 ココアパウダーが混ぜ合わさってから、都合40回もの撹拌を終えたシルヴィの顔には達成感が表れていた。
「どれどれ? 見せて」
「これで、大丈夫だと思うんですけど……」
 ボウルの中のチョコレートは滑らかなとろみと艶やかな光沢を放っていた。このまま食べても充分美味しいだろう。
「ちょっと味見してみようか?」
 エイミは小さなスプーンをシルヴィに手渡し、ボウルの中のチョコレートをすくって口に運ぶ。その瞬間、滑らかな口当たりと共に柔らかな甘みとカカオの芳醇な香りが広がる。
「どうですか?」
 不安げに上目づかいでエイミの反応を見るシルヴィ。エイミは彼女の問いにあえて答えず、食べてみるようにと手で促す。
 シルヴィは恐る恐るボウルからチョコをすくい、小さな口へと運んだ。一拍の後、ぱぁっと表情が和らぎ、エイミと顔を合わせる。
「美味しい!」
「もうバッチリね!」
 嬉しさのあまり、思わず両手でハイタッチをする二人。会心の出来とはまさにこのことだ。
「さぁ、硬くならないうちに、型に流し込んじゃいましょ」
「はい!」
 オーブンシートを丸めて作ったコルネ(絞り出し袋)にチョコを入れ、手際良く型に流し込んでいくシルヴィ。流石にこの程度の作業を失敗するほど彼女は不器用ではない。テンパリングが上手くいったのが嬉しく、終始笑顔で作業を進めていった。
 型はエイミと買い出しに行った時に、散々悩んで迷った末に、思い切ってハート型をチョイスした。最初は無難に星型にしようかとも考えていたシルヴィだが、エイミの説得もあり、勇気を出して決断したのだった。
「よし、できた……」
 全ての型にチョコを流し終え、ひと息つくシルヴィ。
「お疲れ様。あとは冷蔵庫で固めるだけね」
 こぼさぬように慎重にチョコの入った型を冷蔵庫へ仕舞う。ここまでくれば、完成は目の前だ。
「ふぅ……じゃあ、次はエイミさんのトリュフですね」
「よぉーし、このまま勢いに乗って作っちゃいましょ」
「今度はボクがお手伝いする番ですね!」
「うん、お願いね」
 仲の良い姉妹のように笑い合う二人。実際にこのチョコレート作りで二人の仲は更に深まっていた。
 二人は早速準備に取りかかる。エイミはもともと料理が出来るため、最初は上手くいかなかったものの、二回目に作った際には味は問題なかった。
「ガナッシュを作るまでは問題ないのよね」
 言いつつ、生クリームが入った鍋をクッキングヒーターにかけて温める。
「形を均等に揃えるのが、ちょっと難しいんですよね」
 そう、エイミが抱える問題は形だった。大きさが不揃いで形も歪になってしまったのである。
「でも今回は大丈夫よ。ちゃんと友達に、その部分のコツも聞いておいたから」
 原因は固まったガナッシュを丸める時に、手を冷やさなかったため、どんどん溶けてしまい、上手く球状に出来なかったことだった。
 温まった生クリームを、予め用意しておいた刻んだチョコレートが入ったボウルへ一気に注いで、泡立て器で混ぜ合わせる。
「うん、ここまでは特に問題ないわね」
「流石です、エイミさん」
 エイミの手際の良さに尊敬の眼差しを送るシルヴィ。シャカシャカと小気味よくチョコを鼻歌交じりで混ぜていく。
「ふんふふ~ん……ふふ、やっぱり楽しいわね、こういうの」
「ボクもエイミさんみたいに料理が上手くなりたいなぁ……」
 これを機に料理を覚えてみようかと考えるシルヴィに、エイミがクリーム状に混ぜ合わさったチョコにラム酒を加えながら語りかける。
「もし覚える気があるなら、いつでも教えてあげるわよ。一般的な家庭料理のメニューだったら、大抵作れるから」
「わぁ、ホントですか! よぉーし、今度挑戦してみようっと」
「ええ、いつでも言ってね」
 話している間に加えたラム酒も混ぜ合わさった。ラムの芳香が鼻をくすぐる。
「よし、これでいいわね。ガナッシュを冷やす間に、少し休憩しましょうか」
 ボウルをキッチンの端に置くと、エイミはコーヒーカップを二つ取り、コーヒーを淹れる準備をする。
「あ、ボクが用意します。エイミさんは休んでてください」
 言いながらシルヴィはコーヒーメーカーをセットし、カップをエイミから受け取る。
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えるわね」
 シルヴィがコーヒーを用意している間に、エイミはテーブルの上にクッキーを並べる。女の子のコーヒーブレイクには、やはり甘いものは欠かせないのだ。
 コポコポと音を立てながらコーヒーメーカーがドリップを始め、いい香りが漂ってくる。ドリップが終わると、カップにコーヒーを注いで、シルヴィがテーブルへと運んできた。
「どうぞ、エイミさん」
「ありがと、シルヴィちゃん。わぁ、いい香り」
 それから二人はガナッシュが冷める間、お互いの思い人のどこが好きなのか、どこに惹かれるのか等のガールズトークを繰り広げた。
今のエイミの部屋は密室に近い状態のため、彼女らは気兼ねなく自分の胸の内を話し合う事が出来た。もちろん話に花を咲かせている間も、ガナッシュをかき混ぜることも忘れない。
「さあ、そろそろいいかしらね」
 冷ましていたガナッシュをヘラでかき混ぜると、もったりとした感じの状態になっていた。
「うん、イイ感じ。じゃあ、今度は固めましょうか。シルヴィちゃん、手伝ってくれる?」
「はい。じゃあ絞り袋用意しますね」
 シルヴィが持ってきた二つの絞り袋にガナッシュを入れ、オーブンシートを敷いたまな板に太さが均等になるように、慎重にチョコを棒状に絞り出していく。
「よし、これでガナッシュが固まるまで冷やしてと……」
 絞り出したガナッシュを、まな板に載せたまま冷蔵庫へと仕舞う。まだ作業は残っているが、これで一段落といったところだろう。
「固まるまで、またちょっと休憩ね」
「そうですね。じゃあ、コーヒーのお代わり淹れますか?」
「ん~、そろそろお昼時だし、ランチタイムにしましょうか。シルヴィちゃん、お腹すいてる?」
「あ……はい、実は少し」
と、シルヴィははにかみながら答えた。
「ふふ、私も。じゃあ、食堂に行きましょうか」
 その後、二人は食堂で一緒にランチをとった。シルヴィはスパゲッティ、エイミはサンドウィッチと、比較的軽めのもので済ませ、部屋に戻るとそのまま作業に戻った。
「ガナッシュは私が丸めるから、シルヴィちゃんはコーティングをお願い」
「分かりました!」
 冷やして固まったガナッシュを包丁で均等な大きさに切り分け、冷水で手を冷やし、丸めていく。
「~~~、冷たい!」
「大丈夫ですか、エイミさん?」
 心配そうな表情で見つめるシルヴィ。しかしその言葉とは裏腹にエイミの表情は柔らかかった。
「大丈夫よ、これくらいで音を上げてたら女が廃るわ」
 言いつつ、エイミは丸めたガナッシュをシルヴィの手前に置かれたバットへ置いていく。一方のシルヴィはビニール手袋をはめた手でそれを受け取り、予め湯せんして溶かしておいたチョコレートを手につけ、コロコロと転がしてコーティングしていく。
「これくらいでいいですか?」
 シルヴィの手には見事にまん丸で、光沢のあるチョコレートを纏ったガナッシュが置かれていた。
「もうカンペキ! 後はココアパウダーをまぶすだけね」
 手早くガナッシュを丸める作業を終えたエイミは、そのまま最後の仕上げにかかる。シルヴィがココアパウダーの入ったバットへコーティングしたガナッシュを置いていき、それをエイミがバットごと振るって転がし、まぶしつけていく。
 二人の協同作業によって、ついにトリュフが完成する。バットの上には、ほぼ均等な大きさで見事な球体をしたトリュフが所狭しと転がっていた。
「完成ね!」
「凄いです! まるでお店で売ってるみたい!!」
 実際、今回の出来は前回の駄作具合が嘘のような、完璧に近い出来だった。
「えっと……エイミさん。味見、してみませんか?」
 シルヴィは上目づかいに、期待のこもった視線をエイミに投げかける。
「そうね。見た目が良くても味がダメじゃ意味ないものね」
「あんなに頑張ったんだから、きっと美味しいはずです!」
 今度は一転して真面目な顔になり、胸の前でぐっと両手を握り力説するシルヴィ。
 ――シルヴィちゃんって、ホント素直な女の子よね。こんな素敵な女の子を放っておいたらバチがあたっちゃうぞ、マイ君。
 胸中でそんなことを考えながら微笑むエイミ。こうしているとなんだか本当に姉になった気分だ、と彼女は感じていた。
「そうよね、努力は裏切らないわよね。あ、そうだ。シルヴィちゃんのチョコも、もう固まってるんじゃない? もし出来上がってたら、一緒に味見しましょ」
「あ、そうですね。見てみます」
 シルヴィは冷蔵庫を開けると、慎重に型を取り出し、キッチンへ運んでくる。型に入ったチョコは、流し込んだ時よりも若干縮んでおり、型とチョコの間に隙間が空いていた。
「これならもう固まってると思うわ。取り出してみましょ」
 シルヴィは型を逆さにし、空いているバットの上にかざして裏面を軽く叩いてみた。するとチョコレートはいとも簡単に型から外れ、バットの中には可愛らしいハート型のチョコがいくつも並んだ。
「わぁ、凄い! ちゃんと形になってる!!」
「あれだけ頑張ったんだもの、当然よ」
 そうして微笑み合う二人。
「じゃあ、食べてみよっか?」
「はい!」
 お互いが作ったチョコレートをそれぞれ手に取り、同時に口へ運ぶ。
「ん……!? ~~~、ちょ、ちょっとオトナ味です。でも、美味しいです!」
 シルヴィが食べたトリュフはラム酒が入っているため、未成年の彼女には風味が少しキツかったが、それでも濃厚な甘さととろける食感が絶妙だった。
「うん、文句無し。カンペキね!」
 エイミが食べたハートのミルクチョコレートは、テンパリングを努力したおかげで、なめらかな口当たりと柔らかな甘み、芳醇なカカオの香りが見事にマッチしていた。
 そして今度は、自身が作ったものを確認のために食べてみる。
「!? 美味しい……ちゃんと出来てます!!」
「ホント、大成功ね! これなら自信を持ってあげられるわ」
 そうして嬉しさのあまり、お互いに抱き合うシルヴィとエイミ。勢いのあまりシルヴィの顔はエイミの豊かな胸の谷間に半分埋まっていたが、今は嬉しさの感情でいっぱいであるため、彼女のコンプレックスは表に出てこなかった。
「じゃあ、綺麗に並べ直して、明日のラッピングまで仕舞っておきましょ。私の部屋の冷蔵庫なら、盗み食いされる心配もないしね」
「そうですね。ここなら安心です」
 その後、二人は上機嫌のままキッチンの片づけを始めた。
 シルヴィもエイミも、チョコレートを作り上げた達成感と、明日への期待に胸を膨らませ、その顔は自然と微笑んでいた。


→Next…


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最終更新:2012年02月14日 19:56