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SETIとIDのアナロジーをめぐる戦い~PvM


Panda's ThumbのPvMは、
  • 普通のデザインと隔絶したデザインがありうるというWilkins
  • SETIはデザイナーについて仮定を置くが、インテリジェントデザインはデザイナーについて仮定を置かないので、まったく違うというCamp

の主張を組み合わせて、インテリジェントデザインとSETIのアナロジーが成立しないことを整理・主張する。



Robert Camp:Can Intelligent Design be considered scientific in the same way that SETI is?

PvM posted Entry 2317 on May 31, 2006 03:53 PM.

Robert Campの"Can Intelligent Design be considered scientific in the same way that SETI is?"は、SETIがデザインを検出するためにDembskiが提案した"説明フィルタ"を使っていると、インテリジェントデザイン支持者たちによるもっともらしい主張にたいする致命的な打撃になるだろう。事実、デザインを検出するために、これらの科学はすべて、意味や動機や機会などの追加情報を使って結論にたどりつく。インテリジェントデザインは動機や経路や方法などあらゆるコストを避けたがっているので、インテリジェントデザインは科学的に内容がないままである。

これから数週かけて、私は、まったく同じ結論に至る、様々なアプローチと論を示すつもりだ。
まず、Intelligent DesignについてDembskiの主張から始めよう。

Dembski wrote:

To say intelligent causes are empirically detectable is to say there exist well-defined methods that, based on observable features of the world, can reliably distinguish intelligent causes from undirected natural causes. Many special sciences have already developed such methods for drawing this distinction notably forensic science, cryptography, archeology, and the search for extraterrestrial intelligence (SETI). Essential to all these methods is the ability to eliminate chance and necessity.2

インテリジェントな原因が経験的に検出可能だと言うことは、観測可能な世界の特徴に基づく、インテリジェントな原因と指示されない自然の原因と確実に区別することができる、はっきりとした方法が存在すると言うことである。法科学や暗号学や考古学や地球外知性探索 (SETI)のような、多くの特別な科学は既にこのような区別を記述する方法を開発している。これらの方法すべてに不可欠なことは、偶然と必然を除外する能力である。

[Dembski, William. 2003. “Intelligent Design.]

他にも数名が既にDembskiの主張の問題点を指摘しているが、Campの分析はきわめてすばらしく、インテリジェントデザインが科学的に空虚であり続けている理由を理解する手助けとしてタイムリーである。

しかし、まず始めに、インテリジェントデザイン活動家たちが、科学は先験的にインテリジェントデザインを排除していると論じ、同時に、科学は既にうまくインテリジェントデザインを検出できている論じていることを指摘させてもらおう。論理的に結論できることはただひとつで、彼らは同じ"インテリジェントデザイン"について反していないということだ。第1種の"インテリジェントデザイン"あるいは(a)超自然のデザイナーの概念と、第2種の"インテリジェントデザイン"あるいは自然のデザイナーである。この2種のデザイナーの暗黙の区別は、何故Wilkins et alが、デザインが普通のデザインと隔絶したデザインという2種類の形態で存在するのかの理解を助けることになる。

WilkinsとElsberryは彼らの論文 The advantages of theft over toil: the design inference and arguing from ignorance, Biology and Philosophy 16 (November):711-724 において、実際にいかにしてデザインが2つの種類、ひとつは普通のデザインとして知られるもの、もうひとつは"隔絶した"デザインとなるかを示した。彼らはDembskiが使ったフィルターをさらに改善できることを示した。

Wilkins et al wrote:

So now there appears to be two kinds of design - the ordinary kind based on a knowledge of the behavior of designers, and a “rarefied” design, based on an inference from ignorance, both of the possible causes of regularities and of the nature of the designer

そして今や、デザインは2種類ある。デザイナーの振る舞いについての知識に基づく普通のデザインと、無知からの推論("inference from ignorance")に基づく"隔絶した"デザインであり、両者は、規則性とデザイナーの性質のありうべき原因である。

彼らは、犯罪学など違って、隔絶したデザインを帰納的に一般化する方法がないことを示す。

Wlkins et al wrote:

So instead of design being the penultimate default hypothesis in the decision tree, rarefied design becomes, at best, a tenuous conclusion to draw. There is an in-principle difference between rarefied and ordinary design inferences, based on the background knowledge available about ordinary, but not rarefied, design agencies. Rarefied design inferences tell us nothing that can be inductively generalized. Consequently, analogies between artifacts of ordinary design, which are the result of causal regularities of (known) designers, and the “artifacts” of rarefied design do not hold (as Philo noted in Hume’s Dialogues Concerning Natural Religion, Book V).7 Indeed, we might even conclude that the specified small probability of rarefied design is itself an artifact of our prior expectations. As our background knowledge changes and grows (due to the “irrational” inferences of people like Actual Charles), so too do the specifications, and sp/SP can become HP or IP. Why is there a rarefied design option in the filter at all? Dembski has not dealt with such Humean objections. His a priori expectation is that events of specified small probability (relative to whichever specification) do not happen by themselves through chance or regularity, and hence require some other “explanation”. But if this is merely a statement about our expectations, and we already require a “don’t know” or “don’t know yet” option in our filter, why are we ever forced to a rarefied design conclusion? Surely we can content ourselves with regularities, chance and “don’t know” explanations. Such overreaching inferences as a rarefied design inference carry a heavy metaphysical burden, and the onus is on the proponents of such an a priori assumption to justify it.

そうなので、決定木の最後から2番目のデフォルト仮説であるデザインの代わりに、よくても、隔絶したデザインが弱い結論となる。隔絶したデザインと普通のデザインの推論の間には、隔絶ではなく普通のデザインエージェンシーについての背景の知識に基づく、原理的違いがある。隔絶したデザイン推論は、帰納的に一般化できるものは何もないと我々に告げる。従って、(既知の)デザイナーの因果の規則性の結果としての普通のデザインの人工品と、隔絶したデザインの人工品の間のアナロジーは成り立たない(Philoが"Hume's Dialogues Concerning Natural Religion, Book Vで注意したように)。実際、我々は、隔絶したデザインの確率の指定された小ささは、我々に先験的な期待それ自身であるとまで結論できるかもしれない。我々の背景知識が変化し、(Actual Charlesのような人々の"不合理"な推論によって)成長するに従って、"指定"もまた変化し、sp/SPはHPあるいはIPになりうる。何故、隔絶したデザインという選択肢がフィルターにないのか? DembskiはHumeanの異論に対処しなかった。Dembskiは、(いかなる指定値と比べても)指定された小さい確率の出来事は、偶然や規則に従って起きることはなく、従って何らかの別なる説明が必要となると、先験的に期待している。しかし、もしこれが、我々の期待についての声明でしかなく、我々が"知らない"や"まだ知らない"という選択肢を我々のフィルターに既に必要としているなら、何故に我々は隔絶したデザインという結論を下さざるをえないのか? きっと、我々は、規則性と偶然と"知らない"という説明に納得できるだろう。隔絶したデザイン推論のような行き過ぎた推論は、重い形而上学的な重荷をもたらす。そして、そのような先験的仮定を正当化する義務はその支持者にある。

ISCIDでPaul Nelsonは、真実が隔絶したデザイナーを含んでいれば、新しいフィルターでは真実をみつけられないので、新しいフィルターに反対する。隔絶したデザイナーは、「我々は知らない」と競合しないという問題がある。Wilkinsはさらに詳細に、多様なデザイナーの選択肢について記述した。

Robert Campにもどせば、彼も同様にDembskiの主張は誤りだと結論している。

Camp wrote:

Dembski clearly believes ID will stand up to, and benefit from, a methodology-level comparison with forensics, cryptography, archeology, and SETI. Unfortunately, the analogy is only useful regarding ID if one understands certain assumptions inherent in these disciplines. With this understanding, however, it becomes clear that the comparison of ID with operational science is flawed.

Dembskiは明らかにインテリジェントデザインが、科学捜査や暗号や考古学やSETIと方法論レベルでの比較することに耐え、かつメリットがあると信じている。残念ながら、これらの学問に特有の特定の仮定を理解している場合にのみ、インテリジェントデザインについてのみアナロジーは有効になる。しかし、この理解があると、インテリジェントデザインと実用となっている科学との比較は誤りであることが明らかになってくる

Campは説明フィルタを論じて、アナロジーの問題を明らかにする:

Camp wrote:

For the purposes of discussing the value of an analogy between ID and SETI (and other sciences), however, we can accept for the moment the legitimacy of the EF. It is my intent to demonstrate that the analogy fails because, first, in ID the distinction drawn between necessity/chance and intelligence is a terminus, it is the goal and the end of the process.

インテリジェントデザインとSETIあるいは他の科学のアナロジーの価値を論じるためには、しかしながら、説明フィルタの正当性をしばし受け入れることにしよう。アナロジーが失敗することを示すのが私の意図だ。失敗する理由の第1は、インテリジェントデザインにおいて必然/偶然とインテリジェンスの間に示される識別することが終着点であり、それがゴールであり、プロセスの終わりであることだ。

CampはWilkins et alと同じ結論にたどりついたようだ。
Campは続いて、フォレンジックスや暗号などとインテリジェントデザインの違いを示す。

Camp wrote:

In forensics, cryptography, and archeology this distinction is merely an expedient without which the science itself would not take place. Second, although Dembski wishes to paint ID with a coat of science borrowed from these disciplines, the methodological locus between the two is not analogous. And third, the kinds of phenomena ID investigates are not comparable to those dealt with by SETI, forensics, cryptography, and archeology. ID phenomena are inaccessible to science.

科学捜査や暗号や考古学では、この識別は単に、それがなければ科学が参加できない手段にすぎない。第2に、Dembskiは、これらの学問から借りた科学のコートをインテリジェントデザインに纏わせようとしているが、それらの間の方法論的な位置づけは類似していない。第3に、インテリジェントデザインが調査するような現象は、SETIや科学捜査や暗号や考古学が扱っているものと同様のものではない。インテリジェントデザイン現象は科学にとって近づけないものだ。

言い換えるなら:
  1. インテリジェントデザインにとって、デザイン推論は終着点であるが、科学にとってこれは、科学的問いの進行中のプロセスの一部である。
  2. 科学で使われる方法論とインテリジェントデザインで使われる方法論は全く違っているが、Dembskiはインテリジェントデザインを正当化するために科学へ言及する。
  3. インテリジェントデザイン現象は科学が取り扱えない


それで、今や、我々は、科学とインテリジェントデザインの違いにたどりついた。そして、普通なデザインと稀なデザインをいかに識別するかというWilkins et alの示唆が正しく正当化されることを見ることになる。

Camp wrote:

Forensic science, cryptography, and archeology (hereafter simply “forensics”) have indeed developed “methods for drawing this distinction,” as Dembski says, but the differentiation they draw is a specific one between undirected natural causes and human intelligent causes. As well, the methods developed have been for detection and elucidation of human intelligent causes in particular, not intelligence in general (assuming that there are other intelligences). This is an important distinction to make because it speaks to the nature of empirical inquiry. These disciplines assume that the phenomenon in question is real, obeys natural laws, and is accessible to scientific methodology. These are assumptions ID proponents cannot claim as fundamental to their own methodology.

科学捜査や暗号や考古学(以降、フォレンジックス)は、Dembskiの言うように、この識別をする方法を本当に発展させてきた。しかし、それらは、指示されない自然の原因と人間のインテリジェントな原因の間の特定の識別を記述する。同じく、別のインテリジェンスの存在を仮定するインテリジェンス一般ではなく、特に人間のインテリジェントな原因を検出し説明するために、それらは開発された。これはとても重要な違いだ。というのは経験的探求の性質を示しているからだ。これらの学問は、問われている現象が現実であって、自然法則に従い、科学的方法論で探求できると仮定する。これらの仮定は、インテリジェントデザイン支持者たちが、彼自身の方法論に対して原理的に主張できないものだ。

言い換えるなら、たとえば、科学におけるインテリジェントデザインを人間のデザインに限定することによって、デザインについてのポジティブな仮説を、その能力と動機と意味と機会に基づいて作ることができる。このプロセスのどこでも自然法則が破られたとは、科学は仮定しない。制約されないデザイナーはしかしながら、あらゆるものを説明できるので、結局は何も説明できない。うわべの詳細においてさえ、その主張は成り立たない:

Camp wrote:

The assumption of a particular intelligence human is built into the process from the beginning. The initial distinction for forensics, then, is not so much between natural causes and intelligent causes as it is between lack of evidence for human causes and evidence for human causes. This is an important difference as it relates to the analogy Dembski applies.

特定のインテリジェンスたる人間についての仮定が、始めから過程に組み入れられる。フォレンジックスについての初期の識別は、従って、自然の原因とインテリジェントな原因の識別よりも、人間の原因についての証拠の欠如と、人間の原因の証拠の識別が大きい。これはDembskiが適用したアナロジーについての重要な違いだ。

Campは、インテリジェントデザインの科学とのアナロジーによる主張が犯罪学や考古学のような分野で、いかに不当であることを示した上で、続けてSETIについて述べる。SETIとその他の分野の科学との違いは、SETIが我々の知らないインテリジェンスを取り扱うことであえる。

But, in fact, the SETI project investigates phenomena that occupy a category similar to the phenomena investigated by the afore-mentioned disciplines.
In this analysis, phenomena can be classed in the following fashion:

しかし、事実、SETIプロジェクトは、前述の学問によって探求される現象とよく似たカテゴリを占める現象を探求する。
この分析方法では、現象は次のように分類できる:

  • A. Explained Phenomena(説明された現象
  • B. Unexplained Phenomena (不可解な現象):
  • b1. putative natural phenomena (自然現象と推定される現象)
  • b2. causally indeterminate phenomena (either natural or non-natural) (自然であるか否かの)原因不明な現象

SETIの話になると、Campは速やかに、問題を絞り込み、SETIがインテリジェントな生命をいかに検出しようとするのか理解するには、動機が重要な役割を果たすことを明らかにする。

Camp wrote:

t is my argument that implicit in taking action in this case is the assumption that this signal is empirically investigable. That is, it accords with certain preconditions, those being that it is real, it is derived from natural processes, it abides by the physical laws of the universe, and is accessible to current science. The procedure used by SETI is not some unstructured surveillance of the radio spectrum. SETI searches for specific kinds of signals (narrow band) based on specific assumptions about the intelligence that might send them. A statement from the SETI Institute (webpage FAQ) demonstrates this:

SETIに関する"A"の例は、パルサーのような既知の銀河の現象を含むだろう。"b1"の例は、試験でうまく指示されない原因と指示された(インテリジェントな)原因を識別できる現象など、映画コンタクトにおいて取り組まれた連続した通信でおる。この例で水面下で働くのは、この信号は経験的に検証できるという仮定であるというのが私の論だ。すなわち、現実のものであり、自然の過程に由来し、宇宙の物理法則に従い、現在の科学で取り扱い可能という特定の前提条件と整合する。このSETIで使われる手続きは、構造化されない電磁波スペクトルの構造化されていない研究ではない。通信を送ったかもしれないインテリジェンスについての特定の過程に基づく、特定の種類の電波をSETIは探している。SETI研究機関の生命はこれを次のように表現している。

There is relatively little background static from galaxies, quasars, and other cosmic noisemakers in the microwave part of the spectrum. This makes faint signals easier to pick out. Additionally, the microwave band contains a naturally-produced emission line, a narrow-band “broadcast”, at 1,420 MHz due to interstellar hydrogen. Every radio astronomer (including extraterrestrial ones) will know about this hydrogen emission. It may serve as a universal “marker” on the radio dial. Consequently, it makes sense to use nearby frequencies for interstellar “hailing” signals.6

スペクトルのマイクロ波部分にある銀河やクェーサーやその他の宇宙のノイズ源からの比較的弱いバックグラウンドノイズがある。これにより、フェイントな信号を取り出せる。これに加えて、マクロ波のバンドは、自然に生成される、星間空間の水素による1420MHzの、バンド幅の狭い"全方向への放射"の放射のラインを含んでいる。地球外を含むあらゆる電波天文学者はこの水素による放射について知ることになる。これはラジオダイアルのユニバーサルな目印として使えるだろう。従って、この帯域の近くの周波数を、星間の呼びかけ信号に使うのには意味がある


CampもDornellの宇宙物理学者Loren Petrichを引用する。

Cornell astrophysicist Loren Petrich makes this point clearly,
Cornellの天文学者Loren Petrichはこのことを明確に指摘している:

These reasons are very distinct from Dembski’s Explanatory Filter, which focuses on alleged unexplainability as a natural phenomenon; they are an attempt to predict what an extraterrestrial broadcaster is likely to do, using the fact that they live in the same kind of Universe that we do.7

これらの理由は、根拠なく主張される自然現象としての説明不可能性に焦点をあてるDembskiの説明フィルタと大きく違っている。それらは、我々と同様の世界に住んでいるという事実を使って、地球外の送信者がどのように振舞うかを予測しようという試みである。

そして、次のように結論する。

Camp wrote:

This same argument applies to the attempted analogy with forensic science, cryptography, and archeology. All of these deal with investigation into phenomena that are described in “b1,” that of being unexplained but explainable developments. We can be reasonably confident this is so because they exhibit qualities accessible to science; they are of the natural universe. But phenomena found in “b2” are either presently inaccessible to science or unreasonably attributable to intelligence for lack of evidence. While these qualities obviously allow exploitation by ID proponents they also make the analogy with science inappropriate and self-serving. Comparison of “Intelligent Design” with science is a clear category error.

この同じ論が、科学捜査や暗号や考古学などとの成立しないアナロジーにも適用できる。これらはみな、説明されていないが、いずれ説明可能となる"b1"において記述される現象の調査を行う。我々は合理的に自信をもってこう言えるのは、それらが科学が取り扱える性質を見せているからだ。すんわち、それらは自然界のものである。しかし、"b2"に見つかる現象は、現在は科学で取り扱い不可能あるいは、証拠なく非合理的にインテリジェンスのせいにされる。これらの性質が明らかに、インテリジェントデザイン支持者の搾取を許し、科学との不適当で利己的なアナロジーを作りだす。

Campはつづいて"デザイナーの性質"について論じる。インテリジェントデザインは少なくとも、デザイナーについての仮定もしくは推論を作ることで、デザイン推論の問題を調整を試みられたはずだ。これにより、動機や方法のような問題を含むことができただろう。しかし、インテリジェントデザインは、動機や方法についてまったく興味がないことを明らかにした。

The “discovery” of intelligence in “b2” gaps encourages ID proponents to take a pass on attempting to develop any kind of body of work that considers the motives and mechanisms by which an intelligent designer might intervene in the natural world. This endeavor would be directly analogous to the real science with which Dembski and other ID theorists wish “Intelligent Design” to be favorably compared.10 Yet it seems that Dembski would not have us concern ourselves with such inquiries:

"b2" のギャップ(隙間)におけるインテリジェンスの"発見"は、インテリジェントデザイン支持者に、インテリジェントデザイナーが自然界への介入に使ったkも知れない動機とメカニズムを考えるいかなる種類の本論の開発の試みをしないで済ませようとさせる。そのような試みは、Dembskiと他のインテリジェントデザイン理論家が"インテリジェントデザイン"を好ましい形で比較しようとする本当の科学との直接的アナロジーになるかもしれない。しかし、 Dembskiはそのような問いに悩まなくてよいと言っているようだ:

What a designer intends or purposes is, to be sure, an interesting question, and one may be able to infer something about a designer’s purposes from the designed objects that a designer produces. Nevertheless, the purposes of a designer lie outside the scope of intelligent design.2

デザイナーが意図したものや目的は、確かに、非常に興味深い問いであり、デザインされたものからデザイナーの目的について何らかの推論はできるかもしれない。しかしながら、デザイナーの目的はインテリジェントデザインの範囲外である。


Dembskiは、インテリジェントデザイナーが選択した経路を問われて、同様に反応をして、次のように述べた:

Dembski wrote:

As for your example, I’m not going to take the bait. You’re asking me to play a game: “Provide as much detail in terms of possible causal mechanisms for your ID position as I do for my Darwinian position.” ID is not a mechanistic theory, and it’s not ID’s task to match your pathetic level of detail in telling mechanistic stories. If ID is correct and an intelligence is responsible and indispensable for certain structures, then it makes no sense to try to ape your method of connecting the dots. True, there may be dots to be connected. But there may also be fundamental discontinuities, and with IC systems that is what ID is discovering.”

あなたの例について、餌に食いつくつもりはない。あなたはゲームをするように依頼している:「私が私のダーウィン主義者のポジションについてやったことを、あなたのインテリジェントデザインのポジションに対して可能な因果メカニズムについて詳細を述べよと」 インテリジェントデザインは機械論ではなく、機械論的ストーリーを語るにあたって、あなたのまったく不十分なレベルの詳細にあわせることはインテリジェントデザインのタスクではない。もし、インテリジェントデザインが正しく、インテリジェンスが特定構造の原因であり、不可欠であるなら、点と点を結ぶような、あなたの方法を真似る意味がない。実際のところ、点と点のつながりがあるかもしれない。しかし、インテリジェントデザインが発見した還元不可能な複雑さを持つシステムのような根本的な不連続があるかもしれない。


動機や方法を取り扱わないことが、インテリジェントデザインを犯罪学や考古学とは違ったものにしている。

Camp wrote:

But an inference of “something about a designer’s purposes from the designed objects that a designer produces” is exactly what the methodology of forensics is configured to produce. Additionally this is intimately associated with the methods the designer used which are, in turn, intimately associated with the nature of the designer. These characteristics are not mere empirical by-products of forensics, they are a methodological focus. To compare ID to these disciplines without being able to speak of purposes, methods, and nature of the object of investigation is to ignore the cogent part of the analogy.

デザインされたものからデザイナーの目的について何らかの推論をすることは、まさにフォレンジックスの方法論が行うように構成されたものだ。さらに、これはデザイナーが使った方法と関係しており、それはデザイナーの性質と関係している。これらの特徴はフォレンジックスの経験的副産物などではなく、方法論の対象である。調査対象のものの目的や方法や性質に触れることなくこれらの学問とインテリジェントデザインを比較するのは、アナロジーの説得力ある部分を無視することだ。

Campは次のようにまとめている:

To summarize, the analogy of ID to forensics, SETI, and science in general fails for the following reasons:

  1. For ID, differentiation between natural processes and intelligence is an end, for the scientific disciplines it is just a beginning.
  2. In those scientific disciplines it is following this point of departure that most of the science is conducted, with the motives and mechanisms of human (or ET) intelligence being of central concern. These questions are purposefully ignored by ID, leaving it with no analogous locus of scientific methodology.
  3. ID and science address phenomena that are etiologically different. Comparison of ID with science is a category error.

まとめると、フォレンジックスやSETIや一般の科学とインテリジェントデザインのアナロジーは次の理由で失敗する:
  1. インテリジェントデザインにとって、自然の過程とインテリジェンスの識別は終着点だが、科学的な学問では始まりに過ぎない
  2. これらの科学的学問においては、大半の科学において行われる出発点をたどるものであり、人間あるいはETのインテリジェンスの動機や目的を中心的な関心とともにある。これらの問いはインテリジェントデザインでは意図的に無視され、科学的方法論とのアナロジーはないままに放置される。
  3. インテリジェントデザインと科学は、因果関係の異なる現象を取り扱う。インテリジェントデザインと科学を比較するのは分類の間違いだ。


Whether one considers the tactic of analogizing ID with SETI and other sciences a cold calculation or an earnest attempt at dialogue, the goal of the argument is to leave science and scientists in a logical conundrum. As one ID proponent noted,

インテリジェントデザインとSETIやその他の科学とのアナロジーの戦術を、冷たい計算と考えようが、まじめな対話の試みと考えようが、論のゴールは論理的難問において、科学と科学者をとどめておくことだ。あるインテリジェントデザイン支持者が記述するように:

The ID critic cannot have her cake and eat it too. Either she can allow SETI and archeology into her definition of science and ID along with them or she must throw them all out. There is no logical middle ground.12

インテリジェントデザインの批判者たちは、ケーキを手にとって食べられない。SETIや考古学をその科学の定義に加えることを許しても、インテリジェントデザインだけは放り出さなければならない。論理的な中立地点はない。


But an understanding of the specifics of the analogized methodologies reveals that it is actually the proponents of ID who have an uncomfortable decision to make. Either the phenomena that ID theory purports to discover are empirically accessible to science and therefore derived from natural processes or they are forever inexplicable, in which case the analogy with scientific methodology fails by definition. Do Intelligent Design proponents leave ID in this epistemological vacuum where it cannot be falsified by the scientific method, or do they allow, and therefore submit to peer review, that their designer must somehow interact with the natural universe in ways that should be detectable, testable, explicable, and eventually expressive of the nature of the designer?

しかし、アナロジーされた方法論の詳細がわかれば、インテリジェントデザイン支持者たちこそが不快な決定をしていることがあらわになる。インテリジェントデザイン理論が発見したと称する現象が経験的に科学に扱える、すなわち自然の過程で導かれるものであろうが、永遠に説明不可能であろうが、いずれにせよ科学的方法論とのアナロジーは定義上、失敗する。インテリジェントデザイン支持者は、科学的方法で反証不可能である、この認識論的空虚にインテリジェントデザインを放置するのか?それとも、それを認めて、従って、彼らのデザイナーが自然界と相互作用したはずであり、その方法を、検出可能で、検証可能で、説明可能で、時にはデザイナーの性質を表現可能であると、査読つき論文を投稿するのか?

Gary Hurdは、" Why Intelligent Design Fails"の第8章"The explanatory filter, archaeology, and Forensics "において、Dembskino主張に対して意見を述べている。

Beckwithのポジションは Ian Musgrave によって既に調べられている:

Beckwith wrote:

ID theorists maintain that contemporary science’s repudiation of intelligent agency as a legitimate category of explanation is not the result of carefully assessing ID’s arguments and finding them wanting, but rather, it is the result of an a priori philosophical commitment to methodological naturalism (MN), (n4) an epistemological point of view that entails ontological materialism (OM),(n5) but which ID proponents contend is not a necessary condition for the practice of science.(n6) (p. 457, “Science and Religion Twenty Years after McLean v. Arkansas: Evolution, Public Education, and the New Challenge of Intelligent Design.” Harvard Journal of Law & Public Policy 26.2 (Spring 2003: 455-499)

インテリジェントデザイン理論家は、正当な説明のカテゴリとしてのインテリジェントエージェンシーを、現代科学が排斥すると主張する。それは、注意深くインテリジェントデザインの論を調査した結果ではなく、むしろ方法論的自然主義(MN)へのアプリオリな哲学的コミットメントの結果としてであると。しかし、(n4)存在論的自然主義を伴う認識論的見方は、 (n5)しかし、インテリジェントデザインの支持者が強く主張するが、それは科学の実践の必要条件ではない。