Jason Rosenhouseの「論争を教えるべきか?」

James Madison Universityの数学科の Jason Rosenhouse 準教授の連載コラム: CSICOP: Evolution and Creation から、「 Does Should We “Teach the Controversy”? (我々は論争を教えるべきか?)」を紹介する。


そもそもこの"Teach the Controversy"とは、Discovery Instituteとその他のインテリジェントデザイン支持者たちによって考案され、指導されている戦略とキャンペーンの名称である。1999-2000のカンザス州教育委員会における、公立学校の授業でインテリジェントデザインを教えることについての議論において、Johnson[インテリジェントデザインの主唱者]が「カンザス他すべての州で先生がなすべきは「論争を教える」ことだと発言した[ wikipedia ]。

2005年12月の Kitzmiller v. Dover Area School District でのインテリジェントデザイン陣営の敗北により、「インテリジェントデザインを教えろ」は通らなくなった。それ以後は、"Teach the Controversy"を代替用語として使われるようになっている。

その"Teach the Controversy"に対して、Jason Rosenhouse助教授は次のように斬り込んだ:


Jason Rosenhouse: Does Should We “Teach the Controversy”?

我々は論争を教えるべきか?


George Diepenbrockはカンザスのリベラル新聞 Southwest Daily Times の執筆者である。 最近の記事 で、現在進行中のカンザス州理科教育標準の論争について、彼は次のように書いた:

This scares opponents to death because they are more worried about Kansas gaining criticism from national media as it did in 1999.

これは反対者を死ぬほど怖がらせる。というのは1999年の同様に全米メディアの批判を受けているカンザスについて心配させるからだ。

Instead opponents should come up with a good argument on why teaching only the evolution theory does not violate the state education science mission statement to make all students lifelong learners who can use science to make reasoned decisions.

その代わりに、反対者は進化論だけを教えることが、すべての生涯教育の生徒が科学を使って合理的判断ができるようにするという州の理科教育のミッション声明に反しないことを示す、適切な論を提示しなければならない。

Presenting only one life science theory in classes without alternatives breeds ignorance and violates the mission statement.

選択肢なしにひとつの生命科学理論だけを授業で示すことは、無知を招き、ミッション声明を冒涜する。


このエッセイでは、Diepenbrockの挑戦に応える。

Diepenbrockがどんな代替理論を念頭においているのか説明しないので、挑戦に応えるのは簡単ではない。一番近そうなのはこのパラグラフ:

But after the August 2004 election, conservatives now have regained a 6-4 edge [on the School Board], and it appears they are pursuing avenues to change state science standards again to teach other theories, mainly intelligent design, in addition to evolution.

しかし、2004年8月の選挙の後、保守派は学区教育委員会で6:4の過半数を得た。これにより、進化論に加えて、他の理論、主としてインテリジェントデザインを教えるために、州理科教育標準を変える動きを進めている。

Diepenbrockが、インテリジェントデザインを教えることが正確に何をもたらすのか語っていれば、少しは役に立っていただろう。

Diepenbrock の3文の最後の1文について考えてみよう。ひとつの理論だけを提示することが無知をどう招くのだろうか? もし利用可能な証拠がただひとつの理論を支持するなら、確かにその理論以外の何かを示すことは無知を招く。高校の物理の授業では一般に太陽系のコペルニクスモデルだけを論じる。代替案であるプトレマイオスモデルは参照されない。触れられるとしても、それは歴史的な意味としてである。それでも、 Diepenbrockは物理の授業が無知を招くと言うのだろうか?

提示されなかった理論が同等の価値を持つなら、ひとつの理論だけを提示することは無知を招くと言ってもよいだろう。 Diepenbrockがそう考えていると仮定しよう。そして、Diepenbrockが代替理論としてインテリジェントデザインだけに触れているので、理科の授業でインテリジェントデザインを提示することのメリットを考えることにしよう。

インテリジェントデザイン理論の主たる主張は何だろうか? 地球上の生命の存在と構造について高次の知性が役割を果たしているというだけではだめだ。それでは進化論とまったく矛盾しない。 Diepenbrockがそれだけしか考えていないなら、進化論の代替理論を提示したことにならない。特定の生物構造が、非知性な原因のせいではありえない複雑さを持つという、より強い主張がDiepenbrockにはなければならない。その場合、それらのために高次の知性が存在しなければならない。この主張はMichael BeheやWilliam Dembskiによって防御されているものだ。それが、Diepenbrockが進化論の代替理論として提示したいものなのか?

そうであるなら、これを除外することは簡単なことだ。その主張は間違っている。たとえば、Michael Beheは、生分子システムは複数のよく組み合わさった不可欠の部品からできていて、それは還元不可能に複雑であり、従って漸進的に進化できないと主張する。科学者は3つの方法でこの主張を論破している。(1) 既知の遺伝メカニズムに基づいて、いかに還元不可能な複雑さが漸進的に進化したかの仮説シナリオを提示する。(2) 特定の複雑な生物システムについて、大量のデータに基づいて、いかに進化したかの特定シナリオを記述する。(3) 還元不可能に複雑なシステムが全身的に進化したことを示す進化の数値計算を行う。

Beheは生物システムの複雑さが自然の原因の能力を超えていると主張するなら、科学者たちが提示するシナリオがいかに、もっともらしくないかを説明しなければならない。これについて、Beheはまったく成功していない。

これに対して、Dembskiは特定の生物構造がデザインの産物であることを示す精巧な数学的フレームワークを開発したと主張する。あらら、Dembski がそのフレームワークを実際の生物システムに適用する段になると、還元不可能に複雑なシステムは漸進的に進化しえないというBeheの主張を不可欠なものとして使う。Beheの主張は間違いなので、それを論拠とするDembksiの論も間違いとなる。

Diepenbrockは露骨に間違った情報を学校の子どもたちに提示したがっていないことに疑問の余地はない。そうであるなら、インテリジェントデザインをカリキュラムから除外するを正当化するに十分だ。しかし、おそらくDiepenbrockは私の論に対して次のような反論ができるだろう:「確かに、RosenhouseはBeheと Dembskiが間違っていると主張するが、他の人々は正しいと言っている。明らかにここには論争があり、生徒たちには事実が知らされるべきだ。」

しかし、論争があるか?では、私がプトレマイオスの太陽系がコペルニクスのよりももっともらしいと信じているとしよう。それなら、物理の授業で教えられるべき特定の理論について今や論争があるということになるのだろうか? 私が両手で数えられる学位取得した友達を引き連れているとしよう。そしてその友達は、特に物理学者でなく、従って日々の研究を行うにあたって、惑星軌道の正しい理論を必要としないとしよう。 そして、我々がプトレマイオスの方がいいというアイデアを提示した本を書いたとしよう。それなら、理科の授業でプトレマイオスの太陽系を敬意を持って教えられるに十分だろうか?

もちろん、そうではない。間違いなく、この問題にうちて大多数の科学者は片方の立場にあり、私と両手で数えられる友達だけが、もう一方の側にいる。ある考えを理科の授業で教える前に、それは科学界で流通していなければならない。

理科の授業で正当なるものとして提示される、すべての科学理論は、現在インテリジェントデザインのいる立場とまったく同じところから始まったというのが事実だ。異論は、正当なる見方に不満を持つ少数の人々が信じていた。しかし、異論の支持者が理科のカリキュラムに入れるために、学区教育委員会や州立法府に直接要求したことはまったくない。むしろ、科学者の大多数を納得させるだけの十分な証拠を提示することによってのみ、異論は勝利した。

そして、まさにこれはインテリジェントデザイン支持者が拒否することなのだ。今も彼らが論じていることは、10年前に彼ら論じていたことと、まったく変わっていない。科学として、彼らはまったく進歩していない。化石記録のデータや遺伝子についての発見や胎生学の証拠やその他の科学からのデータについて、彼らの理論がどう説明するのか、何も示されていない。進化論はこのすべてについて説明している。インテリジェントデザイン支持者は彼らの考えに基づくどんな革新的な研究プログラムも、放置されて、何も説明しない。

我々がインテリジェントデザインをまっとうなものとして理科の授業で提示するということは、正当なる見方に少数の敗退者がいれば、理科の授業で教えるに十分な反対者がいると言っている

他の場合なら、お笑いな状況だ。占星術を信じている米国人は数百万いて、それには学位取得者も含まれているだろう。だからといって、理科の授業で占星術がまっとうなものとして提示されるべき十分な理由だと、まじめに論じる者はいない。何故か。占星術にメリットを見出す科学者がほとんどいなくて、彼らの理論に基づいて役に立つ洞察を創る能力が占星術者にないことが理由だ。

それなら、インテリジェントデザインを何故に教えるべきなのか: 科学界の圧倒的大多数はその主張が間違っていると信じていて、その説の擁護者たちは進化論が説明するいかなるデータについても説明できず、彼らの理論が科学について何らかの役立つものを創り出す可能性があると信じている理由すら提示しない。Diepenbrockが理科の授業で何を教えるのか決めるのに異なる基準を適用していると信じるなら、私はその基準が何であるのか、いつでも聞く用意がある。






最終更新:2009年10月13日 01:40