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全体主義化する日本(ファシストを許すな)

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全体主義化する日本(ファシストを許すな)

2005年06月12日 | この国のゆくえ

【最近、日の丸君が代を毛嫌いする政党、教職員団体への白眼視が進んでいるように思います。他人事の様に書きましたが、私自身も、そういった団体を怪訝な気持ちで見ております。】

以上は
Re(1):今、教育現場の最前線では。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=400;no=471;id=sikousakugo#atop
において佐藤氏が臆面も無く公言した言葉である。確かにこの手の佐藤氏のようなろくでもない人間が増えてゆけばそうした【白眼視】をされる人々も増えていくだろう。佐藤氏はこれが差別である事に気がついているのだろうか?石原慎太郎や小林ヨシノリがこうしたことを公然と発言する尻馬に乗っかってネットの匿名性をいい事に糞小便を撒き散らす輩にもまことに困ったものである。

歴史に学ばない人間はこれが所謂【ファシズム】の基本エネルギーである事に愚かにも気がつかない。唾棄すべきファシストと言えよう。
「考えるのは自由、しかし、、、」
馬鹿ではないか、自分の考え通りに行動することを【自由】というのだ。

日本の社会では個人が政治的な信条を主張することが、何か「偏っている人間」と見られがちだ。これは政治を執り行う人間とは権力闘争団体の人間であって、政治とはそれらの権勢の単なる覇権争いに過ぎない、と言う時代の名残である。つまり庶民が権力の奴隷であった時代の考え方であり、まさに奴隷根性の伝統である。

民主主義とは政治の主体が民衆にある体制のことである、個人個人が政治参加する体制のことである。日本国憲法の精神からすると偏っているのは当たり前なのである。言葉の使い方に語弊があるかもしれないが、これは誰でも他者から見れば偏っているのである。
貴方から私を見れば偏っているし私から彼を見れば偏っている、その偏ってもの同士が共存共栄する社会を民主社会と言うのであって、そうした政治的な偏りを根拠に「白眼視」する体制・社会こそが【全体主義】体制なのだ。

私は共産主義については恥ずかしながら勉強不足で妥当な評価であるか否かはわからないが、少なくとも既存の共産主義体制国家に言えることが正にこの全体主義であり、我々がもっとも忌むべき考え方である事をしっかりと声に出して弾劾せねばならない。

掲示板では何度目かの提示)になるがもう一度提示しておきたい。

渡辺洋三『日本国憲法の精神』(新日本新書)

国民主権の考え方からすると、国民は一人ひとりが政治の主体でありますから、中立ということはありえないことです。日本語の「中立」というのは、たとえばAとBという人が争っている、その争いにたいして関係のない第三者のCという人が中立だ、という意味です。けれども、政治についてはすべての国民が当事者ですから、第三者にあたる人はいないわけです。そういう意味で、国民主権の原則からは政治的中立という考え方は出てくる余地がありません。国民は、どんな立場でもいいのですが、とにかくなんらかの政治的立場を持っていなければならないはずです。ところが日本では「どの立場にも属さない」ことが政治的中立という言葉で語られています。こういうことが通用するのは日本ぐらいではないでしょうか。

日本人は自分の政治的立場を明らかにして議論するということをしません。私はこれを日本社会の非政治的体質と呼んでいます。自分の政治的立場を明らかにして行動すると、何か片寄っているというようにみられがちです。ほんとうは、片寄っていない人というのはいないはずなのです。例えば自民党から見れば共産党は片寄っているし、共産党から見れば自民党は片寄っているわけで、つまり、相対的なものです。それが日本では、どこにも属さないことが片寄っていないことになるという変な理解とすりかわってしまいます。これは非常に大きな問題です。日本の社会で政治運動がたいへんやりにくいということも実はこれと関係があります。政治運動を行うと、片寄っている特別な人間のように見られるという社会的土壌は、根本的に民主主義の歴史が浅いというところからくるのだと思います。このように、日本社会における政治的後進性というべきものが国民の意識の中にもあるのです。
(23p)


こうした一部佐藤氏のような卑屈な人間の考え方が例のイラクで人質になった人たちへの不条理なバッシングを引き起こす、まことに恥ずかしい日本社会である。

今回、フランスの女性ジャーナリストが開放されたそうだ。それを国家的行事のように祝うフランスの政治家や民衆や活動家や体制と、やれ「自己責任だ」「他人の迷惑も考えろ」等とのたまう首相や国民とでは正に【民度】が歴然と異なるであろう。

以下AMLより抜粋 ---
From:   hagitani ryo <gitani@sa.netlaputa.com>
Reply-To: "略" <aml@list.jca.apc.org>
To:<略>
Subject: [AML 1902] 人質の仏女性記者とイラク人ガイド150余日で解放!!

 オブナさんの事件は、全ヨーロッパが関心をもち、心配していたと言っていいでしょう。日本とのあまりの違いには、言う言葉もありません。
 彼女が捕らえられて以来、大勢の人が助命嘆願のデモや集会やアピールを繰り返し、政府も協力して、二人の大きな写真があちこちの公共の場に掲示されたのです。
 イタリアのNGOの女性職員(二人のシモーナ)や、イル・マニフェスト(共産主義者の新聞)の記者、ジュリアーナ・ズグレーナさんのときも、解放のときは、お祭り騒ぎでしたが、ビデオ画像で心身ともに衰弱の様子を見せていたオブナさんの無事の帰国をフランス人はどんな騒ぎで迎えることでしょうか。

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