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NIKE誕生にまつわる歴史

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【関連ページ】NIKEの対応

NIKE誕生にまつわる歴史

以下は、「スニーカースタイル」(ネコパブリッシング社)に掲載されている
NIKEの記事を引用しているものと思われる。

スニーカースタイル

出版社:株式会社ネコパブリッシング
発売日:2004年12月25日
定  価:2625円(税込み)

【内 容】
アディダスからVANSまで、総勢18ブランドの歴史と220種類のスニーカーを全点写真入りで紹介したスニーカーブック。スポーツシューズの歴史を黎明期から辿り、技術改良や地位の向上といった文化的な側面も見つめる。(「MARC」データベースより)

詳細や評価はAmazonの「スニーカースタイル」を参照。
347 名前: 実況厳禁@名無しの格闘家 投稿日: 2007/02/11(日) 04:02:21 ID:zVuTBw2j

NIKE誕生にまつわる汚れた歴史をご存知ですか? 

'63年にアメリカ人の若者フィル・ナイトがアメリカのランニングシューズマーケット 
に関する広範な研究結果を携えて日本のオニツカタイガー(現アシックス)の鬼塚喜 
八郎社長を訪ねてきた。そして、オニツカのシューズが世界で最も優れているから、 
アメリカ国内で販売させて欲しいと頼んだ。鬼塚はそのアメリカ人に感銘を受け、彼 
と取引することに合意。フィル・ナイトは帰国後、オレゴン州にブルーリボンスポー 
ツ社を設立した。 

オニツカとブルーリボンスポーツの業務提携は大成功を収める。ところがその後の'70 
年、オニツカがブルーリボンスポーツと共同のマーケッティング会社を設立する直前に 
なんとフィル・ナイトはシューズ製造を事前承諾なく別のメーカーに変更してオニツカ 
を驚かせた。さらにブルーリボンスポーツはサブブランドネームの使用に関して、契約 
の盲点を突いて、何とオニツカを告訴。その突然の豹変に鬼塚喜八郎は衝撃を受ける。 
両者の話し合いは、全てにおいて用意周到に計画を遂行してきたブルーリボンスポーツ 
がオニツカに多額の経済的負担を強いる結果となる。その直後にブルーリボンスポーツ 
は社名をNIKEと変更。オニツカから強奪した資金を元に快進撃が始まるのであった。 




これを知るとナイキとヌル山って同類ですよね。所詮はそんなブランドなんです。
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